Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
自分が小さい頃、今は亡き父は国鉄マンでした。家にマイカーが無くどこに行くのも汽車でこの80系も数え切れない程乗りました。当時マイカーを持ってる友達の家が羨ましかったけど、友達は特急列車に乗れる自分が羨ましいと言っていました。この映像を見て当時を思い出し、たくさん汽車に乗せてくれた父には感謝しかありません。貴重な映像を有難うございました。
メッセージありがとうございます。父が国鉄マンだったのですね。列車には、安く利用できたのではないでしょうか。そうれなら、もう列車に乗るしかないですね。私は80系は数えるほどしか乗っていません。撮影ばかりで(笑)でも、当時撮影映像が、こうやって皆さんの記憶をよみがえらせる事が出来、とっても嬉しいです。
自分は祖父が某大手民鉄の車両屋でした。祖父の背中を見て育ったせいか幼い頃からの乗り物好きだったせいかわかりませんが大人になって祖父と同じ会社でまったく同じ職種で勤務してもう25年経ちました。祖父は自分が就職した年の8月に亡くなりました。
家族はタダで乗れたからねぇ。。。
半額ですよ
まるで商用のよう・・・。当時の機材で、個人でここまでのものを中から外から撮影し、更にはノスタルジーを強烈に揺り動かされる、素朴で丁寧な編集。今も昔も変わらない鉄道ファンの情熱を感じずにはいられません。うp主様が当時、どのような理由でこちらを撮影をしたのかはわかりませんが、今、私達が見るこの素晴らしい映像は、受け継がれるべき鉄の熱いDNAとしかいいようがないと思います。本当にいい動画を拝見させて頂きました。
メッセージありがとうございます。私は、幼い頃 山陰本線の上井と言って現在の倉吉駅の近くに住んでいました。当時すでにキハ81と言う はつかり が走っていました。それを絵本で見て私はディーゼル特急と言うのを知っていました。そして山陰本線に初めて特急が走ると言う時に、上井の駅まで父親に連れられて見に行ったのです。見に行く前に父親から言われたことは、「東海道線を走っている特急 こだま を気動車にしたようなもんだよ!」って言われていたのです。当時特急 はつかり のキハ81を絵本で見て知っていた自分にとっては、「あ!あれか!はつかり と同じ形のやつが来るんだ!」と思っていました。そして、ホームで待っていた時、鳥取方面からは、確かカーブして姿を現したと思うのですが、私の想像していた はつかり のキハ81とは、全然違う顔!「え!また変わったのが来た。」絵本にも見た事がない初めて見るキハ82.それが実物で目の前に停車したのです。キハ80の非常口を見て、「何?この変なドアー?」当時ホームで目の前に特急と言う物を見るのが生まれて初めての経験で私は食堂車の窓を見て、「窓がずれている!」などなど、子どもながらに、台車を見て、「何これ!」キハ55の台車ばかり見ていた私にとって、驚く事ばかりでした。保育所の時に生まれて初めて見た特急がキハ82型の まつかぜ だったのです。そして、大人になってビデオを買って、この まつかぜ のドキュメンタリー映像を撮影しようと思いつつ、とうとう願いはかなわなく、どんどん食堂車が無くなっていく中、まだ北海道に行けば、幼い頃に見た特急が最後の力走をしている。北海道にいけば間に合う!今、北海道に行ってキハ82の活躍を残さないと・・・・と思い、行った事のない真冬の北海道へビデオを持って初めて行きました。私は、さほど鉄道が詳しいわけでもなく、いわゆる「マニア」とは、ほど遠い鉄道ファンなのですが、詳しい専門的な知識はさておいて、古き良き時代なんて言う雰囲気を、記録出来たらと思い撮影しました。まあ、長くなりましたが、私が特急 おおとり を撮影した理由は、こんな感じなのです。当時、おおとりが北海道でも特急 まつかぜ に匹敵する長距離特急だったので。
@@HobbyVideos 素晴らしい映像をありがとうございます。厳しい気象条件の中、必死で任務を遂行する姿に感動します。たまたま私の祖母が上井(倉吉)在住で私(東海道新幹線と同じ年生まれ)が初めて乗車した特急は当時京都駅発だった82系まつかぜです。車両性能は現在の車両の方が格段に向上しつつも私にとって82系は未だにスーパースター、その中でもまつかぜは食堂車も連結、停車駅も厳選、まさに”特別”急行でした。
何度見ても 国鉄時代の文化を味わえて日本の良き時代を 思い出させてくれますね。また 音楽と映像とナレーションに 何か 物悲しく感じさせられるのは 私だけでしょうか。
ありがとうございます。
まだyoutubeがない頃なのに後に載せるのを予定しているくらい完璧な映像資料ですね。全体的に凄いのですが、特に遠軽、留辺蘂あたりの夜のやや寂しい感じが好きです。
メッセージありがとうございます。私は、このキハ80系の特急が大好きなのです。この当時、本州では、次第に181系に置き換わり少なくなってきた80系で、食堂車を連結した長編成のキハ80系の列車が走っているのは、北海道だったのです。言い方悪いようですが、北海道は本州よりも少し時代が遅れているようで・・・・良い言い方をすれば、古き良き時代がこの当時も続いていたと言えるのが北海道でした。本州にいて、しだいに姿を消していく80系を見て、何とか古き良き時代の特別急行と言われた80系を残したいと、函館から網走までの長距離を走る列車の追跡を記録したかったのです。当時はインターネットも無く、誰に見せると言うわけでもなく、ただ自己満足で撮影した映像なのです。やがて、走らなくなるであろう80系を、また北海道まで行かなくても家で、バーチャル空間でいつでも見れればそれで良い。っと思い撮影した映像なのです。 でも、1つ残念な事は、北海道に住んでいたら、もっと撮影出来たかもしれない。でも逆に、いつでも撮影出来るからと、まったく撮影しなかったかもしれない。そして、この当時は、このキハ80系をメインに撮影していたばかりで、廃止になるローカル線なんて、考えもよらず、全く撮影していなかった事など、後から思えば、地元に住んでいたら、もっといろいろと撮影するゆとりもあったのに、と思っています。
私は現在高校生で来年から大学生になる者です。旅行で北海道へ鉄道旅をしようと思い、動画を漁っていたところこの動画と出会いました。冬の寒さは堪えるでしょうがそれにも増して人の暖かみを感じます。旅行が楽しみになりました。
メッセージありがとうございます。私は学生時代は、みんな北海道、北海道って旅行に行っていたので、私はあえて、東北に旅をしていました。と言うのも、私が学生時代、奥羽本線が山形から先、電化されるので、特急つばさのキハ181系が消えるため、北海道よりも東北の撮り鉄をしてたのです。 そして、私が北海道へ行ったのは、この動画を撮影するのが初めてでした。寒いのは、寒いですが、列車は2重まどで中は暖かく、網走駅のトイレなんか、すっごく暖房が入っていて、暑いくらいでした。暖房の効いたところでは、Tシャツ1枚でもいいような感じです。(これはオーバーかな?)
これぞ汽車旅と言う感じの動画ですね。時代の流れもあるのですが長距離旅行はネコも杓子も新幹線。旅情というものが全く無くつまらないです。やっぱり汽車旅は一人旅が良いですね。
やっぱ北海道はいいね。雪景色がすごく綺麗 駅員が訛っていて、優しさが伝わる。北海道は一番赤字のJR北海道だけど、頑張って欲しい
なるべくその土地その土地の訛を聴きたいですよね。
同感です😊
とある時代の貴重な鉄道文化を伝えるドキュメンタリーだと思います。寝台特急すら廃止される今、同じ列車に10時間も乗るのは不可能ではないでしょうか。サンライズ出雲に乗っても、個室で夜の車窓を肴に一人酒盛りをして、シャワーを浴びて、寝るだけです。その時は楽しいし、綺麗な車内で快適な鉄道旅行はできます。しかし、人の記憶に残るような、鉄道文化を味わうことは出来ません。極端に言えば、現代は鉄道がエレベーターのような、単なる移動装置に成り下がってしまっています。この映像のような、鉄道の文化すなわち、人の記憶に残るほどの不便さや我慢、列車内での食事を必然的に摂らなければいけない状況、それでも沢山の鉄道員に支えられて、厳冬の北海道で終着駅までたどり着く様は、正に文化的な鉄道ドキュメンタリー映像です。冒頭のいかに長距離を走るのかを解説する親切さや雰囲気に合った音楽、哀愁を誘うナレーションを含め、すべての完成度が高く、何度も見入ってしまいます。このような貴重かつ手間のかかった作品を、無料で公開してくださり、ありがとうございます。明日の鉄道のために、微力ながらも頑張りたいと思います。
+103系ビデオ“Pokeo”【ポケオ】 さん メッセージありがとうございます。こんなメッセージいただくとうれしくて涙が出てしまいます。当時は、VHSテープで画質も悪い映像で、それでもこの機材しか一般庶民には手に入らず、自己満足の世界で撮影していました。 まさか、そんな自己満足な映像をこうやって多くの人に見せる事が出来る時代がやってくるなんて当時は想像もしていませんでした。私は、このキハ80系82型と言う車両が、大好きでもうこの時に北海道へ行かないと、と思い、この列車を追いかけました。当時、天北線や廃止になる線路も一杯撮影したかったのを全て諦めて、1日に1本の列車を出来るだけたくさん撮影したのです。本当は、遠軽での到着発車、北見での切り離しともっと撮影したかったのですが、北海道まで足を運ぶのもこれが、限度でした。 また、このような、ドキュメンタリーを作る事はできませんが、この撮影のついでに撮影した183系や旧型客車もほんの少しありますので、アップした時には、見ていただけたらと思います。ありがとうございました。
いつまでも過去にすがってる人が「明日の鉄道のために」とか笑えますね、本当に鉄道のことを考えてる人は新幹線に気持ちを切り替えてますから
@@オカコウ-p6w 何が言いたいのかワカラン、困った人だ。
1本では無理かもしれませんが、10年ほど前仕事上のトラブルで函館発南千歳経由厚床とか、大雪で札幌北見間が12時間かかったこともあり懐かしい気持ちで拝見出来ました
大学生ですが、キハ82のいきいきとした姿をうっとりしながら観させていただきました。現役を見ることは叶いませんが、貴方のような方のおかげで当時の様子を感じることができ、本当にありがたいです。
+Shun T さん メッセージありがとうございます。キハ82は人気の車両なので、私以外にも一杯アップしていると思います。インターネットのおかげですね。
Shun T o
感動です!皆で頑張って来た昭和、思い出しました。ディーゼルカーの音、走行音、社内の臭いまで、思い出します。貴重なビデオ、ありがとうございました。
メッセージありがとうございます。喜んでいただいてこちらこそありがとうございます。記録した当時は好きな列車をただ録画していただけなのに、こんなに貴重な映像になるとは、思ってもいませんでした。
国鉄ディーゼル特急の王者、「特別急行」 おおとり ここにありです。今まで観た鉄道YOU TUBEの中では傑作です、深く感謝いたします。私は1976年から3年間北海道で暮らしました。82系のおおぞら、北斗、北海に乗車経験があります。ここまで描写されているのを見るとタイムスリップいたしました。キシ80で食事をした事があるのが私の自慢です。貴重な映像作品公開していただきありがとうございました。
メッセージありがとうございます。北海道で3年間暮らした経験があるなんて、とってもうらやましいです。私は、社会人になって初めて北海道に行ったのです。目的は、このキハ82がやがては無くなるであろう姿を、当時のVHSビデオで動画で残したい。ただそれだけで北海道に行きました。初めての冬の北海道。線路の横で列車を撮影したら、頭から全身真白に雪まみれになってしまったり、わざわざポップコーンを買ってきて、足を滑らせて大沼にはまったり、北海道を全然知らなかった私が撮影したビデオでそんなに喜んでいただいてありがとうございます。
食堂車でカレーライスは食べましたか?私は函館を出発し営業が開始されると必ずカレーライスを食べていました!函館←→札幌間でしたけど内地の行き帰りはそうでしたね!日本食堂万歳です!
道民です。遅刻した客のために列車を停めたシーンには目頭が熱くなりました。
私は、発車シーンを撮影してて、これはもう乗り遅れたな!って思いました。それが、まさか止めるとはびっくりです。
この動画が大好きで何度も見てます、特に後半の2人目の車掌さんのアナウンスが聞き取り易くて、貴重な廃線になった路線名を聞けたり男の私でもほれぼれする声の質ですね。まさにトクベツキューコーの名に相応しい特急、BGMも北国の寂しげで、しかしそれでも精一杯の力強さを表現してくれていて数名の方で作ったとは思えないと感じます。本当に名作ですね😊
ありがとうございます。そんな風に言われると嬉しいです。
すばらしい、よくもここまで製作しましたね、頭が下がります日本の宝です。
この車両は、私が初めてまじかに見た特急列車だったのです。やがて、無くなるであろうこの車輛。最後の力走を続けている姿を残しておきたくて北海道へ3回行って撮影しました。ご視聴ありがとうございます。
丁寧な編集、簡潔にして落ち着きのあるナレーション。てっきりテレビ番組か流出ビデオかと思ってたら自主制作でしたか…たまげました。すばらしいビデオだと思います。本当にありがとうございました。
ほんとそれ。ナショジオ並み
ありがとうございます。当時自己満足で撮影した映像なのです。
私も昭和60年の秋に乗車した思い出があります。函館駅のホームの低さと地平の札幌駅が懐かしい。当時の雰囲気をダイレクトに感じることができて感無量です。
メッセージありがとうございます。楽しんでいただけてうれしいです。当時は、自己満足の世界でこのような映像を撮影してましたが、インターネットのおかげで、こうやって多くの人に見てもらえることができました。
母の故郷が函館で、自分も幼少期よく連絡船で北海道へ渡りました。大沼では駒ケ岳のふもとを走り抜けていく汽車をよく眺めていました。こちらの動画を観て、久しぶりにその頃のことを懐かしく思い出しました。久しぶりに、また北海道へ行きたくなりました。
北海道の列車は、この当時と違って、様変わりしましたよ。何しろ、新幹線が函館北斗まで走っているのだから。在来線も、新しいタイプの車両。でも、編成が短く、食堂車なんか当然ない。それだけ、利用者の変わってきているのですね。
キハ183系も 引退しました
何十回見ても感動の一言❗️
過去の北海道の鉄道のドキュメンタリー動画で感動する二大巨頭が、このキハ80系とC62だと私は思っています。
普通、急行はエアコンがない時代、特急車両にはエアコンが付いている、この快適さは今でも忘れることができない。乗り心地も抜群によい、座る椅子のクッションが厚く最高。特急に乗ると、つまみの臭いと日本酒の臭い、生々しく記憶に・・・・プラットホームで見送る人、もうそんな人いない・・・
そうなんですね。もう、大昔の昔話になってしまったみたいですね。
長万部駅の駅員さんの哀愁ただよう放送が好きです。話し方もすごく丁寧ですね
「ホームの柱の内側まで下がってお待ちください」私も、忘れる事はないですね。この話し方。
後続列車 北海3号(山線経由札幌行き) の乗換案内もしているけど、当駅で乗換は皆無と思われる。乗換で割高になるくらいなら、函館で時間調整して始発から北海に乗るわな。
くそー 寝ようと思ったのに43分全部見ちまったじゃねーか。10時に起きにゃならんのに全く・・
メッセージありがとうございます。ごめんなさいね。43分も見てて眠くなりませんでしたか?
10時!?
10時でも遅くて草
あっという間の43分間...でした! あの頃にもう一度戻りたい... 素敵な作品 ありがとうございます。
私の故郷が出てきて嬉しいです😂札幌の行き来でおおとりは何度か乗りました。この映像は私が中学生だった頃です。貴重な映像資料をありがとうございます、
どういたしまして、故郷はこのおおとりの沿線がのかな?どこだろう?
このころのJRは輸送手段がほかに無かったので使命感と重厚な人の情熱を感じます。北海道内の流通の事情を考え、食堂車を設置したり冷暖房完備の社内など当時は10時間という旅に燃料以外は自己完結していました。私が乳飲み子の時に縄文トンネルの信号所にいたとき、病気になったら母はおぶって斜面をかけあがって国道を走る自動車を止めて北見まで病院にいったこともあります。今回、このビデオを見て当時のJRの凄さを感じました。JRも民間になり良いところも在りますが鉄路への情熱は当時より無くなっていると感じているのは私だけではないと思います。素晴らしい映像なので、ぜひ残してください。
メッセージありがとうございます。この映像を撮影した当時は、まだ国鉄の時代でした。他に輸送手段がなかったと言うのは、今のように高速道路が少なく、高速バスも無かったと言う事だと思います。当時のこの映像を撮影した機材は、VHSテープなので、画質も悪いのが、残念なのですが、それでも何とかこの列車の活躍を残したく、必死になって追いかけました。
企画きっぷでも今の駅員はあまり理解していない人が多いと思います。以前、青春18きっぷを購入したときに特急券を購入したら新幹線や特急列車に乗れますと平気に言っていた駅員には唖然としました。
そう思います
懐かしい、本当に懐かしい。小学生の頃母親とよく乗りました。函館から北見を目指して。
よく乗った?羨ましい、本当に羨ましい。私はこの撮影にしか乗ってないのです。
@@HobbyVideos 数えたら少なくとも19回乗ってます。
相当な力作ですね。テレビのドキュメンタリーかと思いました。キハ82は南紀、ひだ、おおとりに乗りました。特急車両としては簡素な作りだと思うのですが、走りが力強く哀愁を帯びていてとても思い出深いです。数年前青森の青函連絡船内で再開しました。昭和の時代にマッチした車両だと思います。
メッセージありがとうございます。子どもの頃、特急まつかぜ の運行開始の日、父に連れられて上井(あげい)の駅(現在は倉吉)に見に行ったのが、この列車との最初の出会いでした。 いずれは、見ることが出来なくなるだろうと思い、北海道で活躍していた、82型のおおとり をドキュメンラリーにしたかったのです。やはり、北海道って言う場所もあるのですが、本当は、特急 まつかぜ もこのようなドキュメンタリーを作りたかったのです。 青函連絡船の中で再会した との事ですが、キハ82型が船に乗っていたのでしょうか? そういえば、青函連絡船ももう今は無いんですね。 今度私は1月26日の早朝の便で北海道へ行く予定ですが、津軽海峡フェリーで行きます。
メモリアルシップ八甲田丸の船中にあるキハ82系です。1両だけの静態保存ですが、今もあると思います。
Mejirodai1 さんメッセージありがとうございます。あ~! そうなんですか。ちょっと検索して見てみます。ありがとうございます。
国鉄時代の鉄道ファン さん、はじめまして他にアップされてる作品も拝聴させていただいております。おおとりは、一度乗ってみたかった。。。あの距離、幼少時にスゲェーってただただ単純な動機でwしかし、作品を見て思うのは、動画は素晴らしい。。私もカメラで撮ったりしてましたが、最近思うのは、あの時の音、動いてる姿の再現なのです。あの瞬間を切り取った写真はあっても、走行音、話し声、何とも言えない車内放送、、、40を過ぎて、あの当時が妙に思い出され、そして記憶がかなりあいまいになってしまってます。こうしてアップされる動画、それをみるにつけ、私も残していれば…と残念しきりです。引き続き、昔を回想し、そして行けなかったり乗れなかったりした貴重な映像を拝聴させていただきます。消さないでくださいねw
メッセージありがとうございます。音 って意外と重要なのですね。私は、ビデオが無かった時代、お金持ちの家ならば、8ミリなどで、動画を撮影していたでしょうけど、私は、貧乏だったので、写真機とラジカセを持って、写真と走行音などの録音をしたりしました。でも、音だけだと、また人気が無いようであまり全くアクセスがないのです。このチャンネルにも音だけの番組のありますが、ほとんどアクセスが無いのです。それで、音だけのチャンネル「チャンネル名:Japanese rail sound」を別に作っています。現在は、スマホでもハイビジョン動画を撮影できる時代になりました。1日1日と過去になって行く今を、どんどん記録して残したいものです。私も、今は撮影に大忙しですが、ひと段落したら、また昔のビデオテープから色々と番組を作りアップしたいと思います。今後ともよろしくお願いします。
当時の車掌さん、駅員さんの声、窓の景色など、人間性のある温かを感じます。
そうですか、今は自動放送が発達して人員削減、経費削減の時代ですね。以前、北海道で貨物列車が脱線したのも、人員削減で線路の異常の発見が遅れたためだったのでしょうかね。昔は、人が列車を動かしていたと言う感じが強いですね。
また観てしまいました。何十回目?思い出したように、この動画を拝見し、「あぁ、まだ生きていた」と感謝。大阪在住の、大の北海道の鉄道ファンである私も、もう古希を過ぎて、いつ「お迎え」が来るのやら😂年に2度は訪ねていた北海道ですが、今はもうすっかり元気をなくしてしまい、動画がよりどころ。
何をおっしゃる、生きている間は、楽しまなくては。私は、4月に北海道へ行きました。でも、まだ博物館は車両にシートをかぶせたまま。ちょっと残念でした。また、新幹線が出来たら廃止になるという、函館本線の駅、余市から長万部までの駅に行きました。その動画、今、編集中です。
テレビのドキュメンタリー映像かと思って見ていましたが、鉄道ファンの方の力作と知ってびっくりです。キハ180系ではなく非力なエンジンを搭載した80系の勇姿、エンジン音素晴らしかったです。自由席のリクライニングしないクロスシートは時代を感じました。しんみりと懐かしく一気に見てしまいました。こんな素晴らしい映像アップしていただきありがとうございます!🤣
メッセージありがとうございます。同じようなメッセージを他の人からもいただいています。当時の撮影機材はVHSで、テレビのような画質とは行かないですが、まあそれなりに楽しんでもらえてうれしいです。
非電化区間のクイーン、キハ82大好きです。貴重な動画が見られて感動!ありがとうございました
メッセージありがとうございます。当時は、当たり前のようにいっぱい走っていた列車。それが、今は貴重な映像になってしまったのですね。そして、来年の春、北斗星やトワイライトエクスプレス、はくたか、北越なども貴重な映像になるのでしょうね。
ホームに活気があって素晴らしい、駅弁屋さんの掛け声がホームに響きますね😃
昔は、こうんな感じでした。ただ、特急は、窓が開かないので、ホームに降りて買わないと買えないのでそう言う面では、急行の方が、駅弁を買って旅をするには、良いですね。
長万部駅到着のとき北海道なまりの地声で「あぶのうございます。柱の内側まで下がってお待ちください」今の自動音声による機械的アナウンスでは絶対に味わえない、人の温かみを感じます。
そうですね。この時は、旭川駅だけが、自動音声の案内でした。函館も札幌も、網走もみな駅員が放送してましたね。
こんにちは。見終わったとき、ちょっと涙ぐんでいました。おおとりに乗った時の思い出と、「不便」な旅ができなくなったことへのさびしさ・・いろんな思いが涙に変わっていました。ことばでは言い表せられないくらい素晴らしい動画です。見せて頂いて本当にありがとうございました。
最後まで見ていただいてありがとうございます。おおとりに乗られたのですね。函館を発車した時は午前だったのが、札幌から次第に暗くなって、終点の網走には、夜行列車が札幌を向いて旅立った後のホームに到着。そんな列車の旅も、もう昔話になってしまったのですね。インターネットのお陰で、自己満足で撮影したビデオをお見せすることができる時代、鉄道もそれなりに「不便」な旅が出来なくなって行くのでしょうね。でも、新幹線が開通したから、不便になったと言う所もあるそうですよ。
キハ82、本当に いい くるま でした。特急型の最高傑作だと思います。
メッセージありがとうございます。このキハ82が出来る前は、キハ81と言う日本初の気動車の特急が「はつかり」で走り始めたのですが、1年くらいの短期間での制作だったので、事故が続出したのです。その時流行った言葉が、「はつかり がっかり 事故ばっかり」と言う言葉らしいですよ。このキハ81と言う80系気動車をこのまま終わらせてはいけないと言う事で、再度作られたのが、キハ82だったと言う事です。また、この車輪自体にディスクブレーキが付いている方式は、新幹線の0系にも使われている方式ですね。
貴重な映像をありがとうございます☆てか、これ個人撮影なんですね!ビックリしました!!当時のテレビ番組かと思ってました(*^^*)今でもこれだけの撮影をするのは大変と思うのですが(車窓や走行シーンなど)、VHS時代の機材だとその何倍も大変だった事だと思います。BGMやご本人様?のナレーションとかとにかく素晴らしすぎです!
メッセージありがとうございます。はい、個人撮影です。このキハ80系82型は、私の大好きな車両なので、こんなに気合が入っていたのですね。逆に、もう廃止になってしまった北海道の線などは、ほとんど撮影しておらず、それが残念です。
いやぁ! ほんとに、素晴らしいです。 だから 今のユウチュウバーに なられたのかも!
年を取ると昔を懐かしみますね。ほぼ50年位前に大学の夏休みを利用し1か月をかけて北海道を旅行しました。ユース全盛で夜行急行も札幌拠点に函館、稚内、網走、根室方面に走っており今は廃線になった路線に乗った記憶が脳裏に浮かんでは消えフェリーに乗ったりした思い出を現在はユーチューブを見て楽しんでいます。
同じですね。私も学生時代、東北の奥羽本線電化前に、キハ181系を撮影しようと、20日かけて東北を旅行したことがあります。その時代、私は北海道にはあまり興味がなく、行かなかったのが、とても残念です。
Hobby videos 39様主さんの青春時代のキハ82系にかける情熱に心打たれました北海道の厳冬期にひたすら一本の列車を何年もかけて追いかけた記録の内容は素晴らしい構成で完成された動画になっています。私自身もキハ82系には北海道在住時には世話になりました。このビデオは永久保存版ですねUPありがとうございます。
確かに、1本の列車を追いかけていたのですが、今から思えば廃止になってしまった線や列車ももっと撮影出来たらと悔やんでいます。やはり、北海道に住んでいなかったためにそれは、出来なかったのかもしれません。逆に、北海道に住んでいなかったから、北海道に行った時に、集中的にこの列車のみを撮影し、このようなビデオを作ることが出来たのかもしれません。
この動画、何回見てもいいです。私は大阪在住ですが、大の北海道の鉄道ファンで、年に2度は必ず北海道を訪ねます。駅の放送、車内の放送、今は殆んど自動放送ですが、動画を撮られた時代は肉声放送。それぞれの方の個性があって、それを聞くだけで旅情が高まる思い。「おしゃまんべ~ぃ。おしゃまんべ~ぃ。」語尾を伸ばすところが何ともいいです。古き良き時代の北海道の鉄道は、私の心の中のよりどころ。本当に何回見てもこの動画は最高です。鉄道の動画は沢山の人がアップされていますが、この動画は私的には他の追随を許さないものだと思っています。ナレーションの優しい語り口も印象的です。
そんなに言っていただいてありがとうございます。この当時、大好きなキハ82の記録を何とか残しておこうと撮影した動画で、自己満足の動画なのです。年に2回も北海道へ行かれているなんて、すごいですね。ところで、マイカーですか?私はマイカーでフェリーで行くのです。この前は、キハ54に乗ったのですが、あの車輛は、ダメですね。座席と窓が一致していないのです。ですから、景色なんて見れたもんじゃーなかったです。まあ、私はデッキに立っていましたけど。今の人はみな、列車に乗ったらスマホを見ているので、これでも良いと言う事なのかな?
私は連絡船時代を知らない世代なのです。函館駅での汽車を止めた駅員さんの優しさは首都圏には無いものですねぇ。 感動しましたありがとうございます!
メッセージありがとうございます。私も、撮影していてびっくりしました。もう、列車が走りだしたので、これは乗り遅れたな!って思ったのですが、列車を止めるなんて、北海道はこんなに暖かいのだ!って感激しました。
今のJRでは考えられませんね!日本国有鉄道は国のキカンだからかだったからでしょうね!あるいはお客さん1人を乗せなかかった場合その人は今後の生活が左右されたかも知れません!
3-10分に1本来る電車と1日1本の長距離特急とでは重要度が全く違いますしね。ただ、この時代にはめっちゃ子供でしたけど、首都圏でもありましたよ。地上駅の改札口からダッシュしてくる乗客を無言で招きながら待ってくれる車掌さんとか、電車に出発合図をださない駅員さんとか。
はじめまして、食いつくように観入ってしまいました。後半はなぜか涙があふれて感動しました。うちの近所はJR阪和線が走り自分が高校生の時までは、ボンネット型のディーゼル特急くろしお号が走っていました。懐かしく想います。感動をありがとうございます。最高です。
+yoxtushiee syu さん メッセージありがとうございます。そんなに、見ていただいてありがとうございます。ボンネットのくろしおは、80系81型ですね。私も、あれは、ついに撮影できずに終わってしまいました。特急まつかぜも、あまり撮影できずに終わってしまいました。そんな事もあって、このおおとりだけは、気合を入れて撮影しました。ただ、残念なことは、もっと他の列車も撮影しておけばと思いました。
懐かしいですょ〜学生の時に、網走駅から、上野駅まで、就職面接で、4回ほど利用しました。朝一乗車して、遠軽、札幌と座席を回転し、夕方函館に着き、青函連絡船に乗り、青森から、たしか電車寝台に乗り、翌朝、上野に到着。上野駅のトイレで洗顔などをして、コインロッカーに荷物を入れ、面接に向け、いざ出陣❗帰りは、上野駅で、3食分の食料を買い溜めした。帰りも、おおとり号に、乗車。懐かしい〜😊瀬戸瀬、上白滝、白滝、下白滝駅、懐かしい。食堂車も、片道2回程、利用しました。涙が出るくらい、懐かしいです✨結果、その会社は、落ちたよ❗動物のあの運輸会社もう半世紀くらい前の、出来事でした最後に、ありがとうございました。
そうですか、北海道から東京へ、就職するつもりだったのですね。私も、このビデオを撮影したのは、今でも忘れられないですが、もうすごい月日が流れているのですね。
涙出て来る映像でした。新日本紀行に負けていません。音楽も良かったです。
ありがとうございます。ただ、当時の機材だったので、画質の面で至らないですね。今は、本当にすごい時代になりました。
50年くらい前に『おおとり』ではなく『おおぞら』だったのですが何度か利用しました。当時の『おおぞら』は13両編成でそれはそれは勇壮でした。その頃はまだ飛行機より青函連絡船が一般的でしたからね。鉄道好き少年にとって、大きな窓、天井にクーラーと乗るたびにワクワクしたものでした。懐かしい映像ありがとうございました。
50年くらい前の「おおぞら」私も鉄道月刊誌で時々写真を見るのですが、食堂車が2輌も連結されていたのではないでしょうか。私が思うに、電車特急の東海道本線の「こだま」は、東京と大阪間、しかし、ディーゼル特急は、非電化の線路を走る事が出来るため、電車特急よりもはるかに長い距離を長い時間走っていたように思います。 それが、知らない町への旅情を感じ、真っ暗になった風景の中を終着駅目指して走り続けるディーゼル特急。それにすごく憧れたものでした。
長い動画ですが味があって何度も見てます!ありがとうございます。
+KOTARO KIDO さん メッセージありがとうございます。こちらこそ、ありがとうございます。当時VHSテープでの撮影で画質が悪いですが、こんな時代のこんな列車だったのですね。
個人でこれだけの作品は素晴らしい限り、情熱を感じます。北海道生まれだけに感じ方が人一倍です。感激しました。
ありがとうございます。この車両が大好きで、何とか現役で走っているドキュメンタリーを残したいと思って撮影しました。今では、この車両の模型を作っています。
月並みな言葉ですが素晴らしいの一言です。このビデオが撮影された当時の自分はまだ子供でしたが、おおとり、おおぞらなど北海道を長時間かけて走る特急列車は憧れの存在でいつかは乗りたいと思っていました。冒頭の本州からの連絡船接続も懐かしいですね。青函トンネルが開通する前に、何度も連絡船で函館へ渡りましたが今とは違う活気(長いホームで連絡船からの客を待ち受ける特急列車、駅弁の立ち売りや駅蕎麦etc)がある光景を思い出しました。
メッセージありがとうございます。この映像を撮影した当時は、これが当たり前の風景だったのですが、今はずいぶんと変わってしまったみたいですね。函館は電化され、札幌は高架になり、多くのローカル線は姿を消し、特急しか走らさない標準軌の鉄道が函館北斗まで開通し、これから先も、どんどん変わって行くのでしょうね。
本や写真でしか見なかったおおとりの映像が見れるとは!車内と映像と駅ホームから到着時の映像を織り交ぜて撮っていらっしゃるあたり、BSの鉄道番組のような編集で素晴らしいです。大変貴重な映像をありがとうございます。
メッセージありがとうございます。ホントにね、当時もっと画質の良い撮影機材だと、もっと良い鉄道番組を作れたのにね。でも、この当時の機材って、画質が悪い割には、大変だったのですよ。肩乗せの今の放送局のようなカメラとVHSテープが入る大きなデッキを電線でつないでバッテリーは、1kgの重さで約20分しか使えない。こんな機材での撮影でした。また、北海道はめったに行けないところなので、計画的にこの列車に的を絞って撮影した結果、このような映像を残すことが出来ました。まあ、この当時は若かったのでね(笑)
丁寧な映像。貴重な映像。特急おおとりの知りたかった事すべてがある。大変な労作。ありがとうございました。
いいえ、どういたしまして。私はこの80系が大好きで、北海道の当時長距離列車を映像で残そうと撮影したものです。今では、13mmゲージの鉄道模型を作っています。(なかなかはかどらないけど)
私は、JR世代なので、国鉄時代の風景は、もうYoutubeくらいでしか見ることができませんが、なんだか妙に懐かしい気分になってしまいます。特に駅員や、車掌のアナウンスが、それぞれの地方の方言で聞くことができたのも、国鉄ならではですね。いまはどこも標準語になってしまっていて、ちょっと寂しい気もします。また、車両もバラエティに富んでいて、見ていて飽きないですね。いまは同じ顔の車両ばかりなので...。また車内チャイムも、昔は本物のオルゴールを使っていて、とても旅愁がありますね。JRの電子オルゴールがなんだかかすんで見えてしまいます。たった一日だけでも、昔の国鉄の時代が復活しないかななんてふとこの映像を見て思ってしまいました。長文大変失礼しました。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
メッセージありがとうございます。JR世代の方・・・・・・と言う事は、お若い方なんですね。時代の流れは速いもので、なぜかみなさん昔が懐かしいって言われます。このビデオを撮ってた時に、30年後の未来なんて創造できなかったのです。でも、このキハ80系は、見ることが出来ないだろうと思い撮影していました。2013年と2014年に何十年ぶりかで、北海道へ行ってきましたが、なじみの無い特急や通勤型の電車などがいっぱい走っていて、私の頭の中にあった30年前の記憶を大きく塗り替えられてしまいました。 この前、鉄友に聞いたのですが、直江津から長野辺りで、普通や快速に国鉄時代の485系を使っているそうです。私も直江津と二本木で少し撮影した事があるのですが、私の鉄友が、その列車に乗りに行ったそうで、駅を発車すると、普通列車にもかかわらす、なんとオルゴールを鳴らして車内放送をするそうです。まあ、これは車掌にもよりけりかも知れませんが、この列車に乗ったら、少しは国鉄時代にタイムスリップできるかもしれませんよ。また、北陸本線の富山から直江津間は、来年の北陸新幹線の開業まで、あと残された日々を、特急北越が485系で走っています。その中には、国鉄色も走っているので、これもなぜか、タイムスリップしたかに感じます。
車両の技術が現在より当然遅れているにもかかわらず、過酷な環境の中で頑張って運行していて、また車両の見た目や構造、内装が現在とさほど変わらず、乗客も鉄道を主な移動手段としているのを視聴していてなんとも言えない良い感覚になります。
そうですね、現在の技術は、北海道専用の車輛が設計されていますが、この当時はこの車輛北海道おから九州まで走っていたオールマイティーの車輛だったのです。ただ、北海道仕様では、エンジンの噴射ポンプ部分にカバーが付いていたり、それなりの特別な設備になっていたようです。
おおとり、家族でよく利用していました。車内放送、エンジン音すべてが懐かしく当時を思い出します。私は写真でしか残せませんでしたがこのような動画を見ることができてとても感動しました。
そうですか、私はこの撮影に2回乗っただけです。でもビデオを何とか残しておいて良かったと思っています。
長期間に渡る撮影。有り難うございます。タイムスリップして国鉄時代を堪能させて頂きました。ナレーションの声に癒されました。
メッセージありがとうございます。そうですか、画質が悪いのが残念ですが、見ていただいてありがとうございます。
キハ80系の現役世代を知る者です。 西日本では、電化区間で電車に負けじと全力疾走した「かもめ」や「くろしお」を見てきました。極寒の地、北海道で同じキハ82が厳しい環境に負けじと疾走している姿、函館駅での乗り遅れたお客様への温かい対応、終点網走駅での到着を待つ駅員、保守に苦労したであろう函館運転所の整備の良さ安全、定時運行に努めようとする乗務員、線路保守も含め、国鉄職員が一丸となってこの列車「おおとり」を走らせているとこの映像からうかがえました。 現JRでは、見ることのできない本当に貴重で素晴らしい映像です。感動致しました。ありがとうございます。
メッセージありがとうございます。実は、私も特急「かもめ」にも「くろしお」にもなった事があるのです。複線の山陽本線や阪和線はスピードを出せる線路で、ほんとうに全力疾走するキハ80系82型は、すごいです。しかし私が、ビデオを手にしたときは、すでにキハ80系82型は、高山本線や、山陰本線と、あまりスピードを出すことができない線路でしか走っていませんでした。 でも、どうしても、あの全力疾走するキハ80系82型を記録したい。そう思ったのです。全力疾走するキハ80系82型を見るには、この当時は北海道しかない!そう思い、函館から網走を走るこの列車を記録しに行きました。こちらこそ、見ていただいてありがとうございます。寒い中、列車が通過した後、全身雪まみれになって撮影したかいがありました。
タイムマシンに乗って、この時代に戻ってみたいと思うシーンばかりでした。
メッセージありがとうございます。タイムマシーンは、無理でしょうけど、せめてバーチャル空間にでも、昔の時間を見る事が出来たらと思い、私は色々と撮影しています。
アップお疲れ様です。キハ80のエンジン音が懐かしいです特急南紀のエンジン音を、高校生時代に毎日、通学していた電車から聞いていました。思わず若かりし日を思い出しました。ありがとうございます、素敵な動画です
+向畑大樹 さん メッセージありがとうございます。特急南紀ですか?動画では、ほんの少ししか記録していませんが、私が初めて特急に乗ったのが、小学校5年の時で、特急くろしおでした。当時は、名古屋発天王寺行で私は、亀山から乗りました。10輌で食堂車が連結されており、一番亀山寄りのキハ82は、900番代のグリーン車の改造の先頭車でした。特急南紀は、くろしおを引き継いだ列車ですね。私が、この北海道のキハ82を撮影しに行ったのも、やぱり、自分自身若かりし日の思い出の車両を何とか残しておきたいと言う一心での撮影した映像なんです。喜んでいただいて光栄です。
貴重で素晴らしい映像をアップしてくださり感謝しています。今は人々の暮らしが大きく変わってしまいましたが移動ではなく、旅という大切な記憶がこの映像にはあると思います。
メッセージありがとうございますなるほど、移動ではなく、旅ですね。
これはすごい! 昔、学生の時の乗った「おおとり」がこんな素晴らしい編集で蘇るとは。実に貴重な映像ですね。感動をどうもありがとうございます!
メッセージありがとうございます。当時のカメラは、撮像管、記録媒体はVHSテープ。この時代に活躍していた列車なんです。画質が悪いのが、残念ですが、それでも北海道まで行って、寒い中撮影しました。この列車に乗った方が、多いようで、そんな思いでを思い出すお手伝いが出来たなら、うれしいです。ちなみに、余談ですが、この43分番組をRUclipsにアップするのに、私の家は、まだADSLだったので、11時間かかりました。この時間って、おおとりの函館から網走までの時間に何か似ているようで笑ってしまいました。
貴重な映像をありがとう。
どういたしまして。画質が悪くてすみません。
18才で会社員にな出張先の佐呂間に行くのに札幌から網走まで乗りました。途中の停車駅にお袋の生まれた町があり窓にへばりついて見ていました。食堂車もありカレーを食べたのを覚えています。しかし縁というのは不思議なもので勤めた会社は倒産し職を探した結果旧国鉄工場に採用になり自分が特急用エンジンやDD51のZAやZBを組むとは思ってもいませんでした。エンジンは非力ですがサスペンションが良くて実に乗り心地に徹した80系でした。貴重な映像ありがとうございました。
人生って色々ですね。エンジンの技術者なのですね。なるほど、乗り心地に徹した80系なのですね。80系当時の時代では、これが一番の設計だったのでしょうね。新しエンジンを開発するのには時間がかかるし、実績のあるエンジンを使って歯車比でカバーすると言う発想だったらしいですね。
@@HobbyVideos さん ただの工場のエンジン組み立て屋です。それでも組み立ての精度は百分の一ミリの精度を必要とします。
すごいですね。百分の1ミリの制度ですか?
何回も見てしまいます。本当に素晴らしい映像!
ありがとうございます。当時の機材なので、画質が悪いのか難点ですがね。
また観てしまいました😂大阪在住の私。年に2度は北海道を訪ね、北海道の鉄道を満喫して参りましたが、この年になり、身体が動かなくなり、生き甲斐だった北海道の旅はもう叶わなくなりました。今は、過去のアルバムは自分で撮影した動画。プラス、あなた様のこの動画を観て、劃られた余生を過ごしています。いつ拝見しても、ホントにいい動画です。NHKの紀行番組に負けないくらい。構成もカメラワークも最高。語りもNHKのアナウンサ−に負けない。ホントにいい動画を有難うございます。北海道。ホントにいい。
そこまで言われるとてれますね。まあ、この車両が大好きで、この時は、必死になって撮影し、必死になって編集しました。今は、もう走っていないけど、私は鉄道模型を作って楽しんでいます。車窓には、北海道の風景をパネルにして。
キハ80系82。何とも哀愁を感じさせる「顔」がいいですね。顔ばかりではなくて、「声」。あのディーゼルエンジンの音、そう、声がまたいいです。北の大地を駆けるにふさわしい特別急行車両ですね。私はヨンマルも好きです。車内の匂い。気動車特有のあの匂いも好きです。ハチマルが姿を消し、ヨンマルも姿を消しつつあります。寂しいですね。今のH100は、北海道には似合わないですよ!新幹線が札幌まで延伸されますが、北海道の景色には似合わないですよ。路線の廃止。駅の廃止。JR北海道はホントに淋しくなりつつあります。大阪在住の大のJR北海道ファンである私の人生も寂しくなりました。年に2度は訪ねた北海道ですが、もう年のせい。身体も寂しくなり、北海道へはもう……。根釧平野を駆ける根室本線。湿原と流氷の釧網本線。遠く利尻を眺める宗谷本線。それらを駆けるキハ40に54。幾度乗ったことやら。
なるほど、私は、北海道へはもっぱらマイカーで行って撮影するのみでした。ただ、このおおとりは、乗車してのビデオも撮影したかったので、乗りました。今度、また北海道に行ったら、列車に乗ってみようかと思います。
国鉄特急憧れるなー乗りたい
今の車内設備から見ると、劣りますよ。リクライニングは無い。
接続列車の案内アナウンスで、ほぼ廃線になっているのが時代を感じますね。素晴らしい動画です。
メッセージありがとうございます。そうなんです、ほぼ廃線になっている。当時は、なにも思わなかったのですが、今思えば昔線路があった証の車内放送ですね。
素晴らしい動画ですね!😊永久に保存されるべき歴史的な文化遺産ですよ!おおげさではなく
ありがとうございます。ただ、画質が悪くてね。今のデジタル技術で、もっと良い画質に出来たら良いんだけどね。
いつも、国鉄の懐かしい雰囲気ありがとうございます。自分も幼少の時、土崎、八王子と鉄道の街で育ちましたので、鉄道の風景を見ると懐かしく感じます。今後も動画UP楽しみにしております
+松本慎也 さん メッセージありがとうございます。鉄道の風景も、昔と違ってどんどん変わって来ていますね。でも、変わっていないところは全然変わって無かったりして。列車ばかりを撮影していましたが、駅なんかも、ずいぶん変わってしまったように思います。また、少しずつアップしますので、よろしくお願いします。
特急おおとり、懐かしく拝見しました。中学時代登別市内から室蘭の病院に毎日通院してたとき、東室蘭で乗り継ぎ待ちで、網走行の特急おおとり8両編成、函館行の特急おおぞら13両編成が同じ時間帯に到着して見られるのが楽しみでした。駅を発車するとき、食堂車のスタッフ全員がホームに向かってお辞儀をしながら列車が走り去って行くのが印象に残ってます。懐かしい映像ありがとうございました^^
メッセージありがとうございます。登別、室蘭・・・・良い所に住んでいますね。私は、今年の2月に少し長和、礼文付近でトワイライトエクスプレス、北斗などを撮影しました。おおとりとおおぞらが同じ時間帯に来るなんて、すごい私にしてみれば夢みたいな光景です。食堂車のスタッフがお辞儀をするのは、始発駅だけかとおもっていたら、途中駅でもするのですね。でも、みんな誇りを持って常務していたのでしょうね。何しろ、特別急行列車だもんね。
もう30年近く前、東北線、青函連絡船、そしてこの特急おおとりと乗り継いで、札幌まで受験に行きました。「国鉄時代の鉄道ファン」さんの動画にもありましたが、私が乗ったときも、函館駅で乗り遅れた乗客のために、発車した列車が止まったことを覚えています。その時私も「国鉄時代の鉄道ファン」さんが動画内でおっしゃられていたのと同じことを思いました。それからずっと私は北海道に住んでいます。北海道鉄路は、路線も列車のバラエティーも30年前と比べてずいぶんとスリムになってしまいました。懐かしい動画をありがとうございます。鉄道の旅が本当に楽しかった頃の記憶がよみがえりました。
平和 さん メッセージありがとうございます。札幌まで受験に行ったと言う事は、青春時代の真っただ中に北海道で生活し、それからずっと北海道に住んでおられるのですね。私も、今思えば、高校までは奈良に住んでいて、大学が石川県の大学に行きました。そして、一旦は大阪の会社に就職したものの、その会社を辞め、結局 今は、石川県に住んでいます。人生ってわからないもので青春時代に過ごした地と言うのが、どうも一生を決める地になるって事が、良くあるみたいですね。私は、2013年と2014年にも北海道に行きました。でも、当時の車両は、キハ183系が、塗装を変えて走っているくらいで、後は、前だけが青い色したステンレスの車両が幅をきかしていましたね。そして、線路もほんとに少なくなり、スリムになってしまったようです。こんな事になるとは、思ってもいなかったので、おおとり 以外の他の線も撮影して、乗っておくと良かったのにと思います。このビデオでの車内放送の乗り換え案内が、私の残せた廃止路線の記録になってしまいました。
国鉄時代の鉄道ファン 廃止路線の記録、なんだかやっぱり寂しいですね。でも月並みな言い方ですが、廃止路線の「記憶」が私の中に生きています。昭和62年の3月29日、最後の羽幌線に乗車しました。そして、3月31日の夜、国鉄とJRをまたぐ列車として稚内駅から急行利尻に乗車しました。もうすっかりJRという言葉に慣れましたが、国有鉄道と比べて、JRというライトな言い方に当時は戸惑いがありました。 月日は流れて、ひょんな事から職場の上司の思い出話を聞く機会がありました。「国鉄最後の利尻に乗車して転勤をした」というのです。同じ職場のもの同士が、実は数十年前に列車内で時を同じくしていたなんて。これも列車の旅のいいところなのかもしれません。ひょっとしたら、国鉄時代の鉄道ファンさんと私も、どこかの列車に同乗していたかもしれませんね。
函館出身です。ありがとうございます。キハ82道内特急は乗らない愚行を犯してしまい、慌てて南紀号で僅かな区間を舐める様に乗ったのを思い出します。この時は3番線発車だったのですね。前後して、おおぞら、宗谷が出発していた時期でしょうか?発車直後の急停車のシーン。このシーンを見て思い出しました。1987年の春、札幌行最終北斗に乗るべく、出発時間ギリギリの函館駅で私の事件が。10分もあれば間に合う、と、だらだらと駅前のデパートの本屋で過ごしていたところ、すっかり時間を失念していたのです。見れば3分前、猛然とダッシュして改札へ向かう私。他に人影はなく、ぽつんと1人立つ駅員氏の改札で切符を提示。驚く改札掛氏。「北斗?!もう発車しますよ?!」「はい!」ダメで元々、当時の身の軽さで階段を駆け上がると、後ろで掛の方の声が聞こえた様でした。恐らく、ホームに通じるマイク案内で「今1人行った!ちょっと待って!」そんな感じだったと思います。実際には1分過ぎていたか?なかったか?列車はアイドリング高らかなエンジンが鳴り響くものの、何事も無かったかのように待っていました。もしかしたら、発車ベルは鳴り終わったか?!目の前でドアが閉まっては無念極まりないと、とにかく最寄りのドアから飛び乗り、程なくドアが閉まると、轟音と共に発車。あの時の安堵は忘れられません。車内は乗客も少なく、程なくして車掌さんが来て切符を検札に来ました。「すいませんでした。」待っててくれたかどうかは確信ありませんでしたが、頭を下げずにはいられませんでした。少し微笑んでいた様な車掌さん。中学3年の卒業旅行でした。今も函館に帰ると思い出します。あの距離の雪道を、ホームまで3分半で走り抜けた私の若さ。何より、恐らく寸分待っていてくれた車掌さん、それを指示してくれたであろう駅員さん。色々不祥事はあっても、JR北海道は応援したいですし、函館駅は今でも私の心の駅、です。^^
そうだったのですか。似たような事、やったのですね。今はどうなのかな?石川県でも、ホームに居たら時々、駅の放送で「〇〇列車車掌 今、一人行きますのでお願いします」とアナウンスが時々あります。田舎だからなのでしょうね。東京ではありえないかも。
昔、ちょうど1982年から1987年まで北海道にいました。江別4年、瀬棚町1年生活したので、あの頃の列車旅懐かしく、思い出しました。食堂車の最晩年の時ですね。映像、音響も素晴らしく。公開ありがとうございます。
食堂車を連結し、往年の特別急行にふさわしい列車名と列車だったようですね。車内も普通車はロマンスシートで回転クロスシートの座席。実物は鉄道博物館のひばりの車内でしか見たことがありません。走行音も今の車両では聞くことのできないエンジン音が響いています。それにしても、UP主様、撮影のアングル、カメラワーク、編集、上手ですね。てっきり鉄道ジャーナル社あたりで出しているシリーズの一本じゃないかと思いました。貴重な映像、見せていただきましてありがとうございます。
メッセージありがとうございます。鉄道博物館って大宮の博物館でしょうか?私は、まだ行った事が無いので時間を作って行きたいと思います。名古屋のリニア博物館には、キハ82があるそうです。私も、一度は行かないと、話についていけないですね(笑)撮影は、この当時はまだ動画撮影に関しては素人の時でした。学生時代は写真をやっていたので、その成果が少し反映されているのかもしれません。でも、写真とビデオは共通点はあるものの当時のビデオは、オートなんて無かったので、絞りなどは、微妙に調整しながら撮影しないと駄目でした。除いているファインダーは白黒のファインダー、それに画像の波形を出して、その波形を見ながら絞りを調整しながらの撮影でした。それに比べれば、今の時代はスマホでフルハイビジョンが撮影できるなんて、すごい時代になりましたね。このすごい時代と引き換えに、時代にそぐわなくなった車輌達が廃車となって消えて行ったのですね。
この動画、もう何回、いや何十回見たでしょうか…。いつ見ても飽きません。古き良き時代の北海道の鉄道風景。駅の到着放送。車掌さんの車内放送。全てが肉声で、それぞれに個性があって、それらが旅情を更に盛り上げているよです。現在にはない「姿」です。この動画のもうひとつの魅力は、撮影者様の温かみのある、優しい口調のナレーションです。まるでNHKの紀行番組を見ているような……。雪の大地を駆ける北の鉄道風景に哀愁をもたらすBGMも最高にいいです。北海道の鉄道を愛する私に、この動画は心のよりどころ。今はすっかり自動放送で味気ないJR北海道。旅情を演出させるような肉声の駅の放送。肉声の車内放送を「喋れるプロ」はもう居ないでしょうね。
そう言ってくれると嬉しくなります。でも、色んな人が居まして、・ナレーションが要らない。複線だの単線だの見ればわかるとか・全く音楽がマッチしていないとか言う人も居るのです。NHKの紀行番組と言うまではまだまだですが、このビデオはやがてなくなるであろう大好きな80系の活躍を残したくて、それをいつまでも見る事が出来たらと思い、全くの趣味で撮影しただけなのです。それが、インターネットのお陰で鉄道好きな人にも見てもらう事が出来るようになり、こうやって編集して見ました。撮影した当時としては、車掌さんのアナウンス、駅の駅員の放送、すべて肉声(旭川以外)でしたが、それが当たり前で何も思わなかった時代でした。最近は、自動音声での放送になっているようですが、まだ肉声での放送もあるのではないでしょうか?ワンマンバスは遠の昔から録音放送でしたが、それでも今日、運転士がマイクを帽子に付けていて肉声での放送を録音に付け足して喋っていると思います。 やはり、肉声の放送は、臨機応変が利くのが良い所ですね。
@@HobbyVideos わざわざご返信ありがとうございます。私の素直な気持ちを申したまでです。北の鉄道を愛する者しかわからない?でしょうね。前にも言った?と思いますが、私は大阪在住。年に2度は北海道を訪ねます。北海道には札幌や小樽。函館とか、色々と観光地はありますが、私は観光地ではない?北海道が好きで、中標津の開陽台やミルクロ―ドの雄大な景色に魅せられ、何度訪ねても飽きません。音威子府や歌登も大好きです。それと、やはり北の鉄道ですね。なかでもキハ40の大ファン。特に冬の宗谷本線を走るキハ40の姿はたまりません。その40も近い内になくなるのでしょうね。
宗谷本線を走るキハ40ですか!私はキハ54しか見たことが無いのです。そうそう1度だけ、変な色の快速が走っていました。いや、朝にキハ40を撮影したかな?キハ54の方が印象が強くて、キハ40は、あまり思い出が無いのです。キハ54は、今年乗りましたが、窓と座席配置があって無くて、景色が見れないので、もう二度と乗りたくありません。キハ40の方が、いいですね。
@@HobbyVideos 宗谷本線でのキハ40は、主に名寄~旭川間の運用が多いようです。そのキハ40ですが、来年春のダイヤ改正後はなくなるそうですね😢変わって、電気式ディ―ゼルのH100形が投入されるとか…。遂に40が見れなくなる寂しさは、私的には耐えられないです。
本当に色々と懐かしい。1980年代は、網走市・北見市に住んでいましたが、「札幌に行く」となれば列車を選ぶのが普通だった時代ですね。旭川駅が「あさひがわ」と呼称していた時代でしたね。青函連絡船にも数回お世話になりました。今では、高速道路の整備が進んで、都市間バスや自力で運転して移動する機会のほうが多くなってしまいました。おおとりには北見から函館まで、高校の修学旅行時に往復で乗り通し、その後、函館から網走までの片道だけですが、訳ありで一度だけ全区間乗り通したことがあります。青函トンネルが開通・供用開始した後も暫く函館~網走間の「おおとり」は残っていましたね。また、国鉄時代はちょっとした優等列車が停車する駅は、必ず切符販売の窓口がある有人駅でしたね。今では石北線の特急列車もキハ183系の運用を経て(廃車のはずだった)キハ283系が入ってくる時代で、ふた昔前の記録になってしまいそうです。
この当時、北海道は、小さな信号所でも、人が居ました。この撮影で、「ここなら誰もいいないだろう」と、信号所に行くと、駅員が出て来て見に来るのでした。信号所なので、暇なのか、「次の特急は、ここを何分に通過するよ」とか、教えてくれて、「その後、列車来ないから中に入ってコーヒーでも飲んで行けよ!」って親切ししてもらった事があります。だから、この時代はおっしゃるように、切符販売窓口のある駅はほとんど有人駅だったのでしょうね。そして、吹雪の日でも、特急が通過する時は、駅員がホームに立って直立不動で、○○列車定時通過と確認していたように思います。
なんだろう この懐かしい暖かい時代感 もう戻れない昭和
こんな時代もあったと言う事ですね。新幹線が出来たら、また今の時代が懐かしくなりますね。
とても貴重な映像ありがとうございます。完成度が凄すぎます!子供の頃国鉄型特急の図鑑をよく見ましたが、キハ80、82は大人になってから後で思えば乗りたかった車両です。
この車両には、乗られてないのですね。普通車の座席はリクライニングではないので、今の特急から比べるとやはり車の設備は、劣りますよ。この特急は国鉄で2番目に作られた車輛で、当時の急行は、クーラー無しの直角の椅子の時代でしたから、食堂車が連結され、全車指定席で運転を開始した特急としては、この当時の最高のサービスだったのかも知れませんね。
@@HobbyVideos 関東在住ということもあり、縁がありませんでした。どちらかというと485や183などの電車特急に憧れておりました。(実際乗る機会が多かったのは185です)今の特急は本当に快適ですよね。大阪~青森まで走った白鳥は乗り通すと大変だっただろうと思います。
昔は、この車両が白鳥で走っていたのです。でも、昔の人は、これが当たり前の時代で、そんなに大変という事は感じていなかったのではないでしょうか。今の、時代の人がこの車両に乗ると大変かもしれませんけどね。白鳥も、電車になってリクライニングシートになってと、次第に車内も良くなりました。
夢のような動画でした。長距離列車が全国を駆け巡る時代、私も旅をしたかったです。時折流れるBGMも美しく心が洗われるようでした。今度網走行ってみようかな、
ありがとうございます。まあ、この当時の機材は重たくて画質が悪くて、今のスマホで4K動画が撮影出来る時代では考えられない時代に、このような列車が走っていたのです。
いつもこの動画を拝見しています。国鉄時代の車両の中では絶品ですね!私も北海道に住んでいた頃幾度もお世話になった車両です。キハ80系の動画は永久保存版ですね!ありがとうございます。
こちらこそ、ご視聴ありがとうございます。私は、この80系が大好きで、とにかく残しておきたいと思って撮影しました。
特急おおとりは高校の修学旅行で乗った記憶があります。そのときすでに183になってました。次の年には青函トンネル開通だったので、おおとりに乗る最初で最後のチャンスでした。函館までが長かったな。
そうですか、もう食堂車も無く長距離を走る時代になっていたのですね。食堂車も、時代にそぐわなくなったのかな。
すばらしい!!最高です。このコロナ禍の陽気の中で小さな旅をさせてもらった気分になりました。当時はバブルの初期の頃で駅も車内🚆も活気に満ちてましたね☻一生に一度は、こんな汽車の旅をわたしもしてみたいなぁ~
今だったらこんな汽車の旅、どこで出来るかな?やっぱり北海道かもね。
カメラワーク、編集、選曲、ナレーションどれもとっても良くて、あっという間の43分間でした。素晴らしい作品をありがとうございました。
どういたしまして。そう言ってくれると嬉しいです。ありがとうございます。
いやぁ~、古き良き時代の風景ですねえ。
国鉄時代です。でも今から思えばどうなのかな?赤字覚悟での運営。親方日の丸が、今では民鉄になり、合理化され、現状になっている。
昔は風情がある。当時の北海道の特急って函館から走ってくるので、すごく長距離。今と違って、1から2時間位ノンストップで走るんですよ。学生時代乗ったことがあるけど、夜の走行は真っ暗の中、ずっと走っているわけ。椅子がベンチシートになっていてリクライニングできないですよね。食堂車も連結されていて、良かったな。まさにポッポやの高倉健の世界ですな。
そうなんです。今は急行が無くなって急行のように停車して、運賃は特急料金を払って。リクライニングが出来ないけど、特急以外の急行は、直角の椅子。やはり、この時代でも、特急は特急のサービスがあったのですね。ポッポやの世界です。
懐かしいです。35年以上前かな?学生の時に生まれて初めて北海道に旅行しました。高速バスで東京入りし、その日の夜に急行八甲田に乗って青函連絡船で北海道に渡りこの電車に乗りました。隣になったサラリーマンの方に社内販売でジュースを買ってもらったり、OLの方と友達になったりと長い乗車時間が温かい時代でした。VHSで撮られてとのこと、この時代では、バッテリーが心配ですね。。。。しかも気温が低いのでさらに心配です。VHSにしては画像が良いので驚いています。
+おあしす さん メッセージありがとうございます。色んな人がそれぞれこの列車での思い出のメッセージをいただき、懐かしいと言ってくれます。撮影機材は、カメラとデッキが別々になっていて、線で繋いで撮影する機材でした。1本のバッテリーの重さが1(kg)約20分しか持たないのです。ちなみにカメラは撮像管でした。まあ、当時は自己満足で撮影した映像で、家でも撮影直後は良く見ましたが、だんだん見なくなってしまいました。現在はインターネットで動画を配信でき良い時代になりましたね。昔の古き良き時代と引き換えに。
思い出が蘇って懐かしく見させてもらいました。鉄道が大好きな子供時代、地元の近くに止まる特急では1番遠くまで行けるのが「おおとり」でしたので大好きな特急でした。小学生の頃母親にせがんで、初めて旭川までグリーン車に乗せてもらったのもおおとりでした!札幌駅で椅子の回転の仕方を周りの人達に教えてあげたのを覚えています!長万部のホームで、コロコロとエンジン音を響かせながら入線してくる様子、いつも子供ながらにワクワクしていました!キハ82のエンジン音を聴くと懐かしくて泣きそうになりました。貴重な映像本当にありがとうございました!
どういたしまして。私もこの車両が大好きで、いまだに模型を手造りしています。ただ、忙しく、なかなか完成しめせんが(笑)
昼行特急最後の食堂車連結でしたね。小さい時にはまだ駅弁売りの方を見た記憶があります。小さい頃思い出しました、ありがとうございます
メッセージありがとうございます。これが、昼行特急最後の食堂車だったかどうかは、分かりませんが、この後、この「おおとり」は、183系になったみたいですね。もう、その時代は、私は撮影していないので知らないのですが、まさか、最後の食堂車連J結の列車を撮影していたとは、知りませんでした。
いやあ、なつかしさと感動のあまり涙があふれてきました。1986年にちょうど大学に入学する直前の春休みを使って、横浜から北見の親戚の家まで「はくつる⇒連絡船⇒おおとり」で丸一日かけて一人旅したことを思い出しました。初めての北海道への旅。北海道って遠いんだなあと身をもって感じたものです。雄大な景色を眺めながら食堂車で食べるランチは街でのどんな食事よりも素敵だと思いましたね。新幹線や飛行機では決して味わえない、あの旅の醍醐味は国鉄ならではだと思います。速さと効率ばかりを追い求める最近のJRは民間企業ですから仕方がないのかもしれませんが、国鉄時代の列車の旅ならではの風情がなくなってしまったのは残念で仕方ありません。国鉄の分割民営化直前の時はちょうど受験生で、本当は北海道の廃止予定のローカル線に乗る旅に出かけたかったのにガマンしていたのを思い出します。もう少し早く生まれて、国鉄黄金時代を満喫したかったなと思う今日この頃。最近は夜行寝台列車も次々と廃止され、鉄道の旅の良さを味わえるチャンスはますますなくなるなど寂しいですね。
メッセージありがとうございます。北海道に親戚があるなんてうらやましいです。私は、北海道はもっぱら旅行でしか行けないので。雄大な景色を眺めながら食べるランチか!もう食堂車はなくなってしまい、今では、雄大な景色を眺めながら食べる弁当って所でしょうか。確かに、今は昔よりスピードアップされていますが、なぜかビジネス特急って言う感じが強いですね。旅をたのしむのは、今の時代は普通に乗るのが良いかもしれません。夜行列車北斗星、トワイライトエクスプレス・・・・秒読み態勢に入りましたね。これら、JR時代の寝台特急なのに、それが廃止になる時代なんだから、時の流れの早さにびっくりです。
最近のJR各社はやれ整備新幹線だ、リニアだと見ていて腹が立つ(#`皿´)!!在来線をもっと大事にできんのか(#`皿´)!!
当方、その翌年にあたる86年に北海道周遊の旅の締めくくりで、網走から函館迄「おおとり」で移動しました。食堂車「キシ80」で昼食と夕食を済ませたのが、一番の思い出です。
やはり、この列車には、利用しているのですね。それも、締めくくりとして全区間乗車なんって、やはり好きでなければ乗れないでしょうね。季節はいつだったのでしょう。私は、冬に食堂車に行ったら、すごく良く揺れました。バネに雪が詰まって揺れるらしいです。
感動しました。84年の冬に北海道ワイドで上野からこのルートで網走に行ったのが蘇りました。ありがとうございました。
あ~みんなワイド周遊券で北海道へ行ってたんですね。私ももっともっと北海道へ行けばよかったよ!
もともと好きな車両でしたが、この画像を目にして、キハ82の美しさに改めて魅せられ、Nゲージのセット(中古ですが)を買ってしまいました。北海道の広さ、鉄道旅行の楽しさを堪能できる素晴らしい作品をありがとうございました。
私も、この車両が大好きなのです。今、13mmゲージで、模型を作っている所です。
当時はまだ、青函連絡線で東京から帰省した人で函館駅は大変混雑していたんですね!
そういえば、そうですね。それって、演歌の世界かも。
この時代の北海道を走っていた優等列車は内地(本州)を走っていたお古で淘汰されるまで過酷な環境下で活躍していたことに心が痛みます。82系の勇姿はこれからも私の記憶から消える事はないでしょう。国鉄時代の鉄道ファンさんアップありがとうございます。
メッセージありがとうございます。本州で走っていたお古ですか?でも、北海道の車輛は、それなりに寒冷地の対策を施されている車両なので、本州の車輛を持って来たとは知りませんでした。
こんにちは、とても貴重なビデオを公開していただいてありがとうございます。私が生まれる8年も前の映像なのですね。もう、何度も見ています。このビデオを見ていなかったら80系気動車の格好良さ、美しさ、そして北の大地の過酷さを知ることはなかったと思います。すっかりこの気動車が好きになってしまいました。いつかは小樽に保存されたこの気動車を見て、この気動車の駆け抜けた鉄路を旅してみたいと思います。
メッセージありがとうございます。キハ82の活躍は見た事がないのですね。この映像を撮影していた時点でも、もうこの車両は古めかしい存在でした。でも、この当時新車だったキハ183系には、食堂車がなく、古いキハ82の列車にだけ食堂車が連結されていて、やはり特別急行と言う列車でした。この時、撮影しておかないと、と思い、必死になって北海道へ撮影に行ったのです。実物の活躍を知らない方が、このビデオで気に入ってくれて嬉しいです。今では私は、80分の1のこの車両の模型を作ったりしています。
古き良き時代の良いものを見させていただきました。ありがとうございました(^。^)
メッセージありがとうございます。どういたしまして。683系の北越急行のはくたかのアイコンですね。廃止秒読み態勢に入っているはくたかを撮影に行かれているのでしょうか。
国鉄時代の鉄道ファン さん私は大阪在住なのですが、年に1度ははくたか撮影のために新潟を訪れています。しかも日帰りです(^_^;)今年も11月に行く予定にしていますが、最後になるかもしれませんので、しっかりと目に焼き付けてきたいと思っております(^。^)
atsutaka2012 さん メッセージありがとうございます。11月ですか。私は去年11月だったと思うのですが、行きました。11月の季節は、とっても風が強くて、ダイヤがすごく乱れていました。良い映像をゲットしてくださいね。
国鉄時代の鉄道ファン さんありがとございます。11月でも結構な雪が降ったこともあり、いつもハプニング満載です(^_^;)国鉄時代の鉄道ファンさんの益々のご活躍を期待しております(^。^)
atsutaka2012 さん メッセージありがとうございます。最近は温暖化でなかなか雪も降らないし・・・・・東京を除いて。今年の東京は、良く降りましたね。11月頃から、ハプニング満載になるのかな?私は、次の土曜日は、北陸お出かけパスを利用して、はくたかと北越の撮影に行きたいと思っています。いつも、マイカーで撮影に行くのですが、今回は、鉄道に乗って、駅での撮影をしたいと思っています。
これは力作を超越した作品!!1985年当時、私は高校生でこの車両によく似たのが四国でも南風で運用されてました。高徳線沿線住民でしたので、珍しくこの車両を高松駅で見るのが好きでした。映像も、昭和の風情たっぷりで懐かしく思えました。一人の乗客で列車を停止させるなんて今ではあり得ないこと。良い時代だったですよね。とてもいい映像を拝見させていただきました。撮影、編集、アップと本当にお疲れ様です。ありがとうございました。
四国のよく似た車輛は、この車両の1つ新しい車輛ですね。私も、四国の特急を撮影したかったのですが、とうとう出来ないまま、終わってしまいました。乗客が遅れてきた時、私はとっても複雑な気持ちで撮影していました。と言うのは、発車の時に排気塔から白い排気ガスが出るのを撮影しようと思っていたのです。列車は、ゆっくりとアイドリングで動き始めました。そこへ、乗客が遅れて、階段を降りて来た。私は、もう乗り遅れたな!って思いつつ、早く、ノッチ上げて白煙が出ないか・・・・と思っていたところで、駅員が「お~い ストップ~」と止めたのです。私は、何?止めるの?うそ?白煙が撮影出来ないじゃん!と思いつつ、でも、止めて乗せてあげるポッポやの熱き心に感激してしまいました。
@@HobbyVideos確か四国のはキハ180番台でしたかね?遅延ならともかく、動き出した列車を止めてまでですから。お~い!ストップ~!って構内マイクで大きな声で(笑)ある意味これも貴重な映像、名場面ではないでしょうか。長距離列車ゆえになお更、止めてあげる価値もあったのでしょう。38:48 終点前のアナウンスは涙が出そうになります。この列車ではるばる網走まで帰郷していた人もいたのでしょうね。ある程度個人の裁量で物事がコントロールできた時代。今は、デジタル管理と責任のがんじがらめですから列車自体を止めるのは難しい。また列車が停止して走って別れを惜しむ人、通信が発達した今、このような別れをしている人も少なくなりました。一部、四国では電化されていますが、まだまだ気動車主体です。ディーゼル排気音を聞くことができますが、この車両のような強烈なエンジン音はしません。しかし当時の撮影機材は非常に高価でなかったかと記憶しています。撮影した時期も北海道の厳しさがもろ伝わってきます。製作費?もかなりおかかりになったのでは?
そうですね、今はスマホで4K動画が撮影できる良い時代です。この当時は、カメラとデッキと充電器で総額40万円くらいしました。
誰かれ買えない時代にいち早く購入し、撮影をされたのですね。この時代の画質だから逆にいいのかもしれません。チャンネル登録いたしました。これからも楽しみにしています。
函館駅発射時と、網走駅到着時の様相があまりに違い過ぎて、如何に過酷な道程を「おおとり」が走破してきたかがひしひしと感じられました。途中、「美幌駅」で氷結したドアを駅員さんが力づくで閉めているシーンなどは、まさに涙ものです。
メッセージありがとうございます。ごめんなさい、あのドアーを閉めているのは、北見なのです。実は、あの北見で後ろ3両切り離すのですが、この時の切り離し作業もちょっと苦戦していたらしいです。私は、前の方の車両だったので、撮影に行けませんでしたが、なかなか発車できませんでした。
国鉄時代の鉄道ファン すみません。北見駅でしたか😅
感動しました。もう30年以上も前なのですね。連絡船もあった夏、これで札幌に向かいました。丁度夏の過客期で、8号車の指定券で乗車したら先客があり、車掌を呼んだら”8増”号車でした。いまでは”特別急行”も、快速と差が無くなりましたね。。。
+Kara Futo さん メッセージありがとうございます。増8号車が連結されていたと言う事は、10輌だったのですね。夏の北海道は、行った事がないので知らないのですが、夏の北海道は暑いらしいですね。特別急行と快速との差。乗車券だけでは乗れないところが違うかも。
今 改めて見るとキハ82は美しいスタイルをしてますね おおとり 博多まつかぜに運用されていた憧れを思い出すことが出来る貴重な映像です
博多まつかぜ・・・・本当は、この列車のドキュメンタリーを作成したかったのです。でも、なかなか進みませんでした。北海道だから、撮影出来たのかもしれません。
な、懐かしいです。。小学生の時食堂車に何度もお世話になりましたね。素晴らしい列車でした。懐かしい映像をありがとうございました。
どういたしまして!私も小学校の頃の思い出は、忘れられませんね。初めて乗った特急がこのキハ82でした。
先日のキハ183系に続き、貴重な映像を拝見する事が出来、感謝致します。この頃は青函連絡船を軸として本州と北海道を結ぶ鉄路が主役で、飛行機はまだ一般的な交通機関ではなかったのでしょうか?30年以上も前の映像ですが、今なお色褪せる事の無い温かみを感じるのは、乗客・運転手・車掌・おおとりの到着を敬礼で迎える駅員等、全てに人情味が溢れているからではないかと感じます。現在は無人化・機械化が進み、移動時間も短縮され、車輌も快適にはなっていますが、それと引き換えに失いつつある物がある事も事実として受け止めています。時代の流れには逆らえませんが、いつかまたおおとりのような長距離列車が復活する事を期待しています。
メッセージありがとうございます。まあ、飛行機は、飛行機でそれなりに、一般的かどうかは分かりませんが、鉄道と平行して交通機関としてあったと思います。まあ、こんどおおとりのような長距離列車が出来るとしたら、新幹線になるかも知れませんね。網走発東京行きとか。
ヤバイっ!おおとりって特急の事全く知らなかったし、なんならこの動画で初めて知ったくらいやのに、心鷲掴みにされました!!
もう昔の列車ですから、今の人は知らなくて当然です。それはそうと、今はデジカメやスマホでしたが、昔は写真もフィルムだったのです。これも、もう知らない人が居るのではないかと思います。
札幌から苗穂間の地平線時代貴重な映像ありがとうございます。その先白石付近まで映像が流れてますが逆側の窓からだと確か1988年位まで旧千歳線の東札幌駅につながる線路が白石から貨物線として残ってましたそんな懐かしい事を思いだすとても貴重な映像でした。
メッセージありがとうございます。逆側の窓にそんな風景があるなんて、当時、北海道音痴な私には、全然知りませんでした。とにかく、この列車を追っかけるのに必死で。
自分が小さい頃、今は亡き父は国鉄マンでした。
家にマイカーが無くどこに行くのも汽車でこの80系も数え切れない程乗りました。
当時マイカーを持ってる友達の家が羨ましかったけど、友達は特急列車に乗れる自分が羨ましいと言っていました。
この映像を見て当時を思い出し、たくさん汽車に乗せてくれた父には感謝しかありません。
貴重な映像を有難うございました。
メッセージありがとうございます。
父が国鉄マンだったのですね。
列車には、安く利用できたのではないでしょうか。
そうれなら、もう列車に乗るしかないですね。
私は80系は数えるほどしか乗っていません。
撮影ばかりで(笑)
でも、当時撮影映像が、こうやって皆さんの記憶をよみがえらせる事が出来、とっても嬉しいです。
自分は祖父が某大手民鉄の車両屋でした。祖父の背中を見て育ったせいか幼い頃からの乗り物好きだったせいかわかりませんが大人になって祖父と同じ会社でまったく同じ職種で勤務してもう25年経ちました。祖父は自分が就職した年の8月に亡くなりました。
家族はタダで乗れたからねぇ。。。
半額ですよ
まるで商用のよう・・・。当時の機材で、個人でここまでのものを中から外から撮影し、
更にはノスタルジーを強烈に揺り動かされる、素朴で丁寧な編集。
今も昔も変わらない鉄道ファンの情熱を感じずにはいられません。
うp主様が当時、どのような理由でこちらを撮影をしたのかはわかりませんが、
今、私達が見るこの素晴らしい映像は、受け継がれるべき鉄の熱いDNAとしかいいようがないと思います。
本当にいい動画を拝見させて頂きました。
メッセージありがとうございます。
私は、幼い頃 山陰本線の上井と言って現在の倉吉駅の近くに住んでいました。
当時すでにキハ81と言う はつかり が走っていました。
それを絵本で見て私はディーゼル特急と言うのを知っていました。
そして山陰本線に初めて特急が走ると言う時に、上井の駅まで父親に連れられて見に行ったのです。
見に行く前に父親から言われたことは、
「東海道線を走っている特急 こだま を気動車にしたようなもんだよ!」
って言われていたのです。当時特急 はつかり のキハ81を絵本で見て知っていた自分にとっては、
「あ!あれか!はつかり と同じ形のやつが来るんだ!」
と思っていました。
そして、ホームで待っていた時、鳥取方面からは、確かカーブして姿を現したと思うのですが、私の想像していた はつかり のキハ81とは、全然違う顔!
「え!また変わったのが来た。」
絵本にも見た事がない初めて見るキハ82.それが実物で目の前に停車したのです。
キハ80の非常口を見て、
「何?この変なドアー?」
当時ホームで目の前に特急と言う物を見るのが生まれて初めての経験で私は食堂車の窓を見て、
「窓がずれている!」
などなど、子どもながらに、台車を見て、
「何これ!」
キハ55の台車ばかり見ていた私にとって、驚く事ばかりでした。
保育所の時に生まれて初めて見た特急がキハ82型の まつかぜ だったのです。
そして、大人になってビデオを買って、この まつかぜ のドキュメンタリー映像を撮影しようと思いつつ、とうとう願いはかなわなく、どんどん食堂車が無くなっていく中、まだ北海道に行けば、幼い頃に見た特急が最後の力走をしている。北海道にいけば間に合う!
今、北海道に行ってキハ82の活躍を残さないと・・・・
と思い、行った事のない真冬の北海道へビデオを持って初めて行きました。
私は、さほど鉄道が詳しいわけでもなく、いわゆる「マニア」とは、ほど遠い鉄道ファンなのですが、詳しい専門的な知識はさておいて、古き良き時代なんて言う雰囲気を、記録出来たらと思い撮影しました。
まあ、長くなりましたが、私が特急 おおとり を撮影した理由は、こんな感じなのです。
当時、おおとりが北海道でも特急 まつかぜ に匹敵する長距離特急だったので。
@@HobbyVideos 素晴らしい映像をありがとうございます。厳しい気象条件の中、必死で任務を遂行する姿に感動します。
たまたま私の祖母が上井(倉吉)在住で私(東海道新幹線と同じ年生まれ)が初めて乗車した特急は当時京都駅発だった82系まつかぜです。車両性能は現在の車両の方が格段に向上しつつも私にとって82系は未だにスーパースター、その中でもまつかぜは食堂車も連結、停車駅も厳選、まさに”特別”急行でした。
何度見ても 国鉄時代の文化を味わえて日本の良き時代を 思い出させてくれますね。また 音楽と映像とナレーションに 何か 物悲しく感じさせられるのは 私だけでしょうか。
ありがとうございます。
まだyoutubeがない頃なのに後に載せるのを予定しているくらい完璧な映像資料ですね。全体的に凄いのですが、特に遠軽、留辺蘂あたりの夜のやや寂しい感じが好きです。
メッセージありがとうございます。
私は、このキハ80系の特急が大好きなのです。
この当時、本州では、次第に181系に置き換わり少なくなってきた80系で、食堂車を連結した長編成のキハ80系の列車が走っているのは、北海道だったのです。
言い方悪いようですが、北海道は本州よりも少し時代が遅れているようで・・・・良い言い方をすれば、古き良き時代がこの当時も続いていたと言えるのが北海道でした。
本州にいて、しだいに姿を消していく80系を見て、何とか古き良き時代の特別急行と言われた80系を残したいと、函館から網走までの長距離を走る列車の追跡を記録したかったのです。当時はインターネットも無く、誰に見せると言うわけでもなく、ただ自己満足で撮影した映像なのです。やがて、走らなくなるであろう80系を、また北海道まで行かなくても家で、バーチャル空間でいつでも見れればそれで良い。っと思い撮影した映像なのです。
でも、1つ残念な事は、北海道に住んでいたら、もっと撮影出来たかもしれない。でも逆に、いつでも撮影出来るからと、まったく撮影しなかったかもしれない。そして、この当時は、このキハ80系をメインに撮影していたばかりで、廃止になるローカル線なんて、考えもよらず、全く撮影していなかった事など、後から思えば、地元に住んでいたら、もっといろいろと撮影するゆとりもあったのに、と思っています。
私は現在高校生で来年から大学生になる者です。旅行で北海道へ鉄道旅をしようと思い、動画を漁っていたところこの動画と出会いました。冬の寒さは堪えるでしょうがそれにも増して人の暖かみを感じます。旅行が楽しみになりました。
メッセージありがとうございます。
私は学生時代は、みんな北海道、北海道って旅行に行っていたので、私はあえて、東北に旅をしていました。
と言うのも、私が学生時代、奥羽本線が山形から先、電化されるので、特急つばさのキハ181系が消えるため、北海道よりも東北の撮り鉄をしてたのです。
そして、私が北海道へ行ったのは、この動画を撮影するのが初めてでした。
寒いのは、寒いですが、列車は2重まどで中は暖かく、網走駅のトイレなんか、すっごく暖房が入っていて、暑いくらいでした。暖房の効いたところでは、Tシャツ1枚でもいいような感じです。(これはオーバーかな?)
これぞ汽車旅と言う感じの動画ですね。時代の流れもあるのですが長距離旅行はネコも杓子も新幹線。旅情というものが全く無くつまらないです。やっぱり汽車旅は一人旅が良いですね。
やっぱ北海道はいいね。雪景色がすごく綺麗 駅員が訛っていて、優しさが伝わる。北海道は一番赤字のJR北海道だけど、頑張って欲しい
なるべくその土地その土地の訛を聴きたいですよね。
同感です😊
とある時代の貴重な鉄道文化を伝えるドキュメンタリーだと思います。
寝台特急すら廃止される今、同じ列車に10時間も乗るのは不可能ではないでしょうか。
サンライズ出雲に乗っても、個室で夜の車窓を肴に一人酒盛りをして、シャワーを浴びて、寝るだけです。その時は楽しいし、綺麗な車内で快適な鉄道旅行はできます。
しかし、人の記憶に残るような、鉄道文化を味わうことは出来ません。
極端に言えば、現代は鉄道がエレベーターのような、単なる移動装置に成り下がってしまっています。
この映像のような、鉄道の文化すなわち、人の記憶に残るほどの不便さや我慢、列車内での食事を必然的に摂らなければいけない状況、それでも沢山の鉄道員に支えられて、厳冬の北海道で終着駅までたどり着く様は、正に文化的な鉄道ドキュメンタリー映像です。
冒頭のいかに長距離を走るのかを解説する親切さや雰囲気に合った音楽、哀愁を誘うナレーションを含め、すべての完成度が高く、何度も見入ってしまいます。
このような貴重かつ手間のかかった作品を、無料で公開してくださり、ありがとうございます。
明日の鉄道のために、微力ながらも頑張りたいと思います。
+103系ビデオ“Pokeo”【ポケオ】 さん メッセージありがとうございます。
こんなメッセージいただくとうれしくて涙が出てしまいます。
当時は、VHSテープで画質も悪い映像で、それでもこの機材しか一般庶民には手に入らず、自己満足の世界で撮影していました。
まさか、そんな自己満足な映像をこうやって多くの人に見せる事が出来る時代がやってくるなんて当時は想像もしていませんでした。
私は、このキハ80系82型と言う車両が、大好きでもうこの時に北海道へ行かないと、と思い、この列車を追いかけました。当時、天北線や廃止になる線路も一杯撮影したかったのを全て諦めて、1日に1本の列車を出来るだけたくさん撮影したのです。
本当は、遠軽での到着発車、北見での切り離しともっと撮影したかったのですが、北海道まで足を運ぶのもこれが、限度でした。
また、このような、ドキュメンタリーを作る事はできませんが、この撮影のついでに撮影した183系や旧型客車もほんの少しありますので、アップした時には、見ていただけたらと思います。ありがとうございました。
いつまでも過去にすがってる人が「明日の鉄道のために」とか笑えますね、本当に鉄道のことを考えてる人は新幹線に気持ちを切り替えてますから
@@オカコウ-p6w
何が言いたいのかワカラン、困った人だ。
1本では無理かもしれませんが、10年ほど前仕事上のトラブルで函館発南千歳経由厚床とか、大雪で札幌北見間が12時間かかったこともあり懐かしい気持ちで拝見出来ました
大学生ですが、キハ82のいきいきとした姿をうっとりしながら観させていただきました。現役を見ることは叶いませんが、貴方のような方のおかげで当時の様子を感じることができ、本当にありがたいです。
+Shun T さん メッセージありがとうございます。
キハ82は人気の車両なので、私以外にも一杯アップしていると思います。
インターネットのおかげですね。
Shun T o
感動です!
皆で頑張って来た昭和、思い出しました。
ディーゼルカーの音、走行音、社内の臭いまで、思い出します。
貴重なビデオ、ありがとうございました。
メッセージありがとうございます。
喜んでいただいてこちらこそありがとうございます。
記録した当時は好きな列車をただ録画していただけなのに、こんなに貴重な映像になるとは、思ってもいませんでした。
国鉄ディーゼル特急の王者、「特別急行」 おおとり ここにありです。
今まで観た鉄道YOU TUBEの中では傑作です、深く感謝いたします。
私は1976年から3年間北海道で暮らしました。
82系のおおぞら、北斗、北海に乗車経験があります。
ここまで描写されているのを見るとタイムスリップいたしました。
キシ80で食事をした事があるのが私の自慢です。
貴重な映像作品公開していただきありがとうございました。
メッセージありがとうございます。
北海道で3年間暮らした経験があるなんて、とってもうらやましいです。
私は、社会人になって初めて北海道に行ったのです。目的は、このキハ82がやがては無くなるであろう姿を、当時のVHSビデオで動画で残したい。ただそれだけで北海道に行きました。初めての冬の北海道。線路の横で列車を撮影したら、頭から全身真白に雪まみれになってしまったり、わざわざポップコーンを買ってきて、足を滑らせて大沼にはまったり、北海道を全然知らなかった私が撮影したビデオでそんなに喜んでいただいてありがとうございます。
食堂車でカレーライスは食べましたか?私は函館を出発し営業が開始されると必ずカレーライスを食べていました!函館←→札幌間でしたけど内地の行き帰りはそうでしたね!日本食堂万歳です!
道民です。遅刻した客のために列車を停めたシーンには目頭が熱くなりました。
私は、発車シーンを撮影してて、これはもう乗り遅れたな!って思いました。
それが、まさか止めるとはびっくりです。
この動画が大好きで何度も見てます、特に後半の2人目の車掌さんのアナウンスが聞き取り易くて、貴重な廃線になった路線名を聞けたり男の私でもほれぼれする声の質ですね。まさにトクベツキューコーの名に相応しい特急、BGMも北国の寂しげで、しかしそれでも精一杯の力強さを表現してくれていて数名の方で作ったとは思えないと感じます。本当に名作ですね😊
ありがとうございます。そんな風に言われると嬉しいです。
すばらしい、よくもここまで製作しましたね、頭が下がります
日本の宝です。
この車両は、私が初めてまじかに見た特急列車だったのです。
やがて、無くなるであろうこの車輛。最後の力走を続けている姿を残しておきたくて北海道へ3回行って撮影しました。ご視聴ありがとうございます。
丁寧な編集、簡潔にして落ち着きのあるナレーション。
てっきりテレビ番組か流出ビデオかと思ってたら自主制作でしたか…たまげました。
すばらしいビデオだと思います。本当にありがとうございました。
ほんとそれ。
ナショジオ並み
ありがとうございます。当時自己満足で撮影した映像なのです。
私も昭和60年の秋に乗車した思い出があります。
函館駅のホームの低さと地平の札幌駅が懐かしい。
当時の雰囲気をダイレクトに感じることができて感無量です。
メッセージありがとうございます。
楽しんでいただけてうれしいです。
当時は、自己満足の世界でこのような映像を撮影してましたが、インターネットのおかげで、こうやって多くの人に見てもらえることができました。
母の故郷が函館で、自分も幼少期よく連絡船で北海道へ渡りました。大沼では駒ケ岳のふもとを走り抜けていく汽車をよく眺めていました。
こちらの動画を観て、久しぶりにその頃のことを懐かしく思い出しました。久しぶりに、また北海道へ行きたくなりました。
北海道の列車は、この当時と違って、様変わりしましたよ。
何しろ、新幹線が函館北斗まで走っているのだから。
在来線も、新しいタイプの車両。
でも、編成が短く、食堂車なんか当然ない。
それだけ、利用者の変わってきているのですね。
キハ183系も 引退しました
何十回見ても感動の一言❗️
ありがとうございます。
過去の北海道の鉄道のドキュメンタリー動画で感動する二大巨頭が、このキハ80系とC62だと私は思っています。
普通、急行はエアコンがない時代、特急車両にはエアコンが付いている、この快適さは今でも忘れることができない。乗り心地も抜群によい、座る椅子のクッションが厚く最高。特急に乗ると、つまみの臭いと日本酒の臭い、生々しく記憶に・・・・プラットホームで見送る人、もうそんな人いない・・・
そうなんですね。
もう、大昔の昔話になってしまったみたいですね。
長万部駅の駅員さんの哀愁ただよう放送が好きです。
話し方もすごく丁寧ですね
「ホームの柱の内側まで下がってお待ちください」
私も、忘れる事はないですね。この話し方。
後続列車 北海3号(山線経由札幌行き) の乗換案内もしているけど、当駅で乗換は皆無と思われる。乗換で割高になるくらいなら、函館で時間調整して始発から北海に乗るわな。
くそー 寝ようと思ったのに43分全部見ちまったじゃねーか。
10時に起きにゃならんのに全く・・
メッセージありがとうございます。
ごめんなさいね。
43分も見てて眠くなりませんでしたか?
10時!?
10時でも遅くて草
あっという間の43分間...でした! あの頃にもう一度戻りたい... 素敵な作品 ありがとうございます。
私の故郷が出てきて嬉しいです😂札幌の行き来でおおとりは何度か乗りました。この映像は私が中学生だった頃です。貴重な映像資料をありがとうございます、
どういたしまして、故郷はこのおおとりの沿線がのかな?どこだろう?
このころのJRは輸送手段がほかに無かったので使命感と重厚な人の情熱を感じます。北海道内の流通の事情を考え、食堂車を設置したり冷暖房完備の社内など当時は10時間という旅に燃料以外は自己完結していました。私が乳飲み子の時に縄文トンネルの信号所にいたとき、病気になったら母はおぶって斜面をかけあがって国道を走る自動車を止めて北見まで病院にいったこともあります。今回、このビデオを見て当時のJRの凄さを感じました。JRも民間になり良いところも在りますが鉄路への情熱は当時より無くなっていると感じているのは私だけではないと思います。素晴らしい映像なので、ぜひ残してください。
メッセージありがとうございます。
この映像を撮影した当時は、まだ国鉄の時代でした。他に輸送手段がなかったと言うのは、今のように高速道路が少なく、高速バスも無かったと言う事だと思います。
当時のこの映像を撮影した機材は、VHSテープなので、画質も悪いのが、残念なのですが、それでも何とかこの列車の活躍を残したく、必死になって追いかけました。
企画きっぷでも今の駅員はあまり理解していない人が多いと思います。
以前、青春18きっぷを購入したときに特急券を購入したら新幹線や特急列車に乗れますと平気に言っていた駅員には唖然としました。
そう思います
懐かしい、本当に懐かしい。小学生の頃母親とよく乗りました。函館から北見を目指して。
よく乗った?羨ましい、本当に羨ましい。私はこの撮影にしか乗ってないのです。
@@HobbyVideos 数えたら少なくとも19回乗ってます。
相当な力作ですね。テレビのドキュメンタリーかと思いました。キハ82は南紀、ひだ、おおとりに乗りました。特急車両としては簡素な作りだと思うのですが、走りが力強く哀愁を帯びていてとても思い出深いです。数年前青森の青函連絡船内で再開しました。昭和の時代にマッチした車両だと思います。
メッセージありがとうございます。
子どもの頃、特急まつかぜ の運行開始の日、父に連れられて上井(あげい)の駅(現在は倉吉)に見に行ったのが、この列車との最初の出会いでした。
いずれは、見ることが出来なくなるだろうと思い、北海道で活躍していた、82型のおおとり をドキュメンラリーにしたかったのです。やはり、北海道って言う場所もあるのですが、本当は、特急 まつかぜ もこのようなドキュメンタリーを作りたかったのです。
青函連絡船の中で再会した との事ですが、キハ82型が船に乗っていたのでしょうか?
そういえば、青函連絡船ももう今は無いんですね。
今度私は1月26日の早朝の便で北海道へ行く予定ですが、津軽海峡フェリーで行きます。
メモリアルシップ八甲田丸の船中にあるキハ82系です。
1両だけの静態保存ですが、今もあると思います。
Mejirodai1 さんメッセージありがとうございます。
あ~! そうなんですか。
ちょっと検索して見てみます。
ありがとうございます。
国鉄時代の鉄道ファン さん、はじめまして
他にアップされてる作品も拝聴させていただいております。
おおとりは、一度乗ってみたかった。。。
あの距離、幼少時にスゲェーってただただ単純な動機でw
しかし、作品を見て思うのは、
動画は素晴らしい。。
私もカメラで撮ったりしてましたが、最近思うのは、あの時の音、動いてる姿の再現なのです。
あの瞬間を切り取った写真はあっても、走行音、話し声、何とも言えない車内放送、、、
40を過ぎて、あの当時が妙に思い出され、そして記憶がかなりあいまいになってしまってます。
こうしてアップされる動画、それをみるにつけ、私も残していれば…と残念しきりです。
引き続き、昔を回想し、そして行けなかったり乗れなかったりした貴重な映像を拝聴させていただきます。
消さないでくださいねw
メッセージありがとうございます。
音 って意外と重要なのですね。
私は、ビデオが無かった時代、お金持ちの家ならば、8ミリなどで、動画を撮影していたでしょうけど、私は、貧乏だったので、写真機とラジカセを持って、写真と走行音などの録音をしたりしました。
でも、音だけだと、また人気が無いようであまり全くアクセスがないのです。
このチャンネルにも音だけの番組のありますが、ほとんどアクセスが無いのです。
それで、音だけのチャンネル「チャンネル名:Japanese rail sound」を別に作っています。
現在は、スマホでもハイビジョン動画を撮影できる時代になりました。
1日1日と過去になって行く今を、どんどん記録して残したいものです。
私も、今は撮影に大忙しですが、ひと段落したら、また昔のビデオテープから色々と番組を作りアップしたいと思います。今後ともよろしくお願いします。
当時の車掌さん、駅員さんの声、窓の景色など、人間性のある温かを感じます。
そうですか、今は自動放送が発達して人員削減、経費削減の時代ですね。
以前、北海道で貨物列車が脱線したのも、人員削減で線路の異常の発見が遅れたためだったのでしょうかね。
昔は、人が列車を動かしていたと言う感じが強いですね。
また観てしまいました。
何十回目?
思い出したように、この動画を拝見し、「あぁ、まだ生きていた」と感謝。
大阪在住の、大の北海道の鉄道ファンである私も、もう古希を過ぎて、いつ「お迎え」が来るのやら😂
年に2度は訪ねていた北海道ですが、今はもうすっかり元気をなくしてしまい、動画がよりどころ。
何をおっしゃる、生きている間は、楽しまなくては。
私は、4月に北海道へ行きました。
でも、まだ博物館は車両にシートをかぶせたまま。ちょっと残念でした。
また、新幹線が出来たら廃止になるという、函館本線の駅、余市から長万部までの駅に行きました。
その動画、今、編集中です。
テレビのドキュメンタリー映像かと思って見ていましたが、鉄道ファンの方の力作と知ってびっくりです。キハ180系ではなく非力なエンジンを搭載した80系の勇姿、エンジン音素晴らしかったです。自由席のリクライニングしないクロスシートは時代を感じました。しんみりと懐かしく一気に見てしまいました。こんな素晴らしい映像アップしていただきありがとうございます!🤣
メッセージありがとうございます。
同じようなメッセージを他の人からもいただいています。
当時の撮影機材はVHSで、テレビのような画質とは行かないですが、まあそれなりに楽しんでもらえてうれしいです。
非電化区間のクイーン、キハ82大好きです。貴重な動画が見られて感動!ありがとうございました
メッセージありがとうございます。
当時は、当たり前のようにいっぱい走っていた列車。
それが、今は貴重な映像になってしまったのですね。
そして、来年の春、北斗星やトワイライトエクスプレス、はくたか、北越なども貴重な映像になるのでしょうね。
ホームに活気があって素晴らしい、駅弁屋さんの掛け声がホームに響きますね😃
昔は、こうんな感じでした。ただ、特急は、窓が開かないので、ホームに降りて買わないと買えないのでそう言う面では、急行の方が、駅弁を買って旅をするには、良いですね。
長万部駅到着のとき北海道なまりの地声で「あぶのうございます。柱の内側まで下がってお待ちください」
今の自動音声による機械的アナウンスでは絶対に味わえない、人の温かみを感じます。
そうですね。この時は、旭川駅だけが、自動音声の案内でした。
函館も札幌も、網走もみな駅員が放送してましたね。
こんにちは。見終わったとき、ちょっと涙ぐんでいました。おおとりに乗った時の思い出と、「不便」な旅ができなくなったことへのさびしさ・・いろんな思いが涙に変わっていました。ことばでは言い表せられないくらい素晴らしい動画です。見せて頂いて本当にありがとうございました。
最後まで見ていただいてありがとうございます。
おおとりに乗られたのですね。
函館を発車した時は午前だったのが、札幌から次第に暗くなって、終点の網走には、夜行列車が札幌を向いて旅立った後のホームに到着。
そんな列車の旅も、もう昔話になってしまったのですね。
インターネットのお陰で、自己満足で撮影したビデオをお見せすることができる時代、鉄道もそれなりに「不便」な旅が出来なくなって行くのでしょうね。
でも、新幹線が開通したから、不便になったと言う所もあるそうですよ。
キハ82、本当に いい くるま でした。
特急型の最高傑作だと思います。
メッセージありがとうございます。
このキハ82が出来る前は、キハ81と言う日本初の気動車の特急が「はつかり」で走り始めたのですが、1年くらいの短期間での制作だったので、事故が続出したのです。その時流行った言葉が、
「はつかり がっかり 事故ばっかり」
と言う言葉らしいですよ。
このキハ81と言う80系気動車をこのまま終わらせてはいけないと言う事で、再度作られたのが、キハ82だったと言う事です。
また、この車輪自体にディスクブレーキが付いている方式は、新幹線の0系にも使われている方式ですね。
貴重な映像をありがとうございます☆
てか、これ個人撮影なんですね!ビックリしました!!
当時のテレビ番組かと思ってました(*^^*)
今でもこれだけの撮影をするのは大変と思うのですが(車窓や走行シーンなど)、
VHS時代の機材だとその何倍も大変だった事だと思います。
BGMやご本人様?のナレーションとかとにかく素晴らしすぎです!
メッセージありがとうございます。
はい、個人撮影です。このキハ80系82型は、私の大好きな車両なので、こんなに気合が入っていたのですね。
逆に、もう廃止になってしまった北海道の線などは、ほとんど撮影しておらず、それが残念です。
いやぁ! ほんとに、素晴らしいです。 だから 今のユウチュウバーに なられたのかも!
年を取ると昔を懐かしみますね。ほぼ50年位前に大学の夏休みを利用し1か月をかけて北海道を旅行しました。ユース全盛で夜行急行も札幌拠点に函館、稚内、網走、根室方面に走っており今は廃線になった路線に乗った記憶が脳裏に浮かんでは消えフェリーに乗ったりした思い出を現在はユーチューブを見て楽しんでいます。
同じですね。
私も学生時代、東北の奥羽本線電化前に、キハ181系を撮影しようと、20日かけて東北を旅行したことがあります。
その時代、私は北海道にはあまり興味がなく、行かなかったのが、とても残念です。
Hobby videos 39様
主さんの青春時代のキハ82系にかける情熱に心打たれました北海道の厳冬期にひたすら一本の列車を何年もかけて追いかけた記録の内容は素晴らしい構成で完成された動画になっています。
私自身もキハ82系には北海道在住時には世話になりました。このビデオは永久保存版ですねUPありがとうございます。
確かに、1本の列車を追いかけていたのですが、今から思えば廃止になってしまった線や列車ももっと撮影出来たらと悔やんでいます。
やはり、北海道に住んでいなかったためにそれは、出来なかったのかもしれません。
逆に、北海道に住んでいなかったから、北海道に行った時に、集中的にこの列車のみを撮影し、このようなビデオを作ることが出来たのかもしれません。
この動画、何回見てもいいです。私は大阪在住ですが、大の北海道の鉄道ファンで、年に2度は必ず北海道を訪ねます。
駅の放送、車内の放送、今は殆んど自動放送ですが、動画を撮られた時代は肉声放送。それぞれの方の個性があって、それを聞くだけで旅情が高まる思い。「おしゃまんべ~ぃ。おしゃまんべ~ぃ。」語尾を伸ばすところが何ともいいです。
古き良き時代の北海道の鉄道は、私の心の中のよりどころ。本当に何回見てもこの動画は最高です。鉄道の動画は沢山の人がアップされていますが、この動画は私的には他の追随を許さないものだと思っています。
ナレーションの優しい語り口も印象的です。
そんなに言っていただいてありがとうございます。
この当時、大好きなキハ82の記録を何とか残しておこうと撮影した動画で、自己満足の動画なのです。
年に2回も北海道へ行かれているなんて、すごいですね。
ところで、マイカーですか?
私はマイカーでフェリーで行くのです。
この前は、キハ54に乗ったのですが、あの車輛は、ダメですね。
座席と窓が一致していないのです。
ですから、景色なんて見れたもんじゃーなかったです。
まあ、私はデッキに立っていましたけど。
今の人はみな、列車に乗ったらスマホを見ているので、これでも良いと言う事なのかな?
私は連絡船時代を知らない世代なのです。函館駅での汽車を止めた駅員さんの優しさは首都圏には無いものですねぇ。 感動しましたありがとうございます!
メッセージありがとうございます。
私も、撮影していてびっくりしました。
もう、列車が走りだしたので、これは乗り遅れたな!
って思ったのですが、列車を止めるなんて、北海道はこんなに暖かいのだ!
って感激しました。
今のJRでは考えられませんね!日本国有鉄道は国のキカンだからかだったからでしょうね!あるいはお客さん1人を乗せなかかった場合その人は今後の生活が左右されたかも知れません!
3-10分に1本来る電車と1日1本の長距離特急とでは重要度が全く違いますしね。
ただ、この時代にはめっちゃ子供でしたけど、首都圏でもありましたよ。
地上駅の改札口からダッシュしてくる乗客を無言で招きながら待ってくれる車掌さんとか、電車に出発合図をださない駅員さんとか。
はじめまして、食いつくように観入ってしまいました。後半はなぜか涙があふれて感動しました。うちの近所はJR阪和線が走り自分が高校生の時までは、ボンネット型のディーゼル特急くろしお号が走っていました。懐かしく想います。感動をありがとうございます。最高です。
+yoxtushiee syu さん メッセージありがとうございます。
そんなに、見ていただいてありがとうございます。
ボンネットのくろしおは、80系81型ですね。
私も、あれは、ついに撮影できずに終わってしまいました。
特急まつかぜも、あまり撮影できずに終わってしまいました。
そんな事もあって、このおおとりだけは、気合を入れて撮影しました。
ただ、残念なことは、もっと他の列車も撮影しておけばと思いました。
懐かしいですょ〜
学生の時に、網走駅から、上野駅まで、就職面接で、4回ほど利用しました。
朝一乗車して、遠軽、札幌と座席を回転し、夕方函館に着き、青函連絡船に乗り、青森から、たしか電車寝台に乗り、翌朝、上野に到着。
上野駅のトイレで洗顔などをして、コインロッカーに荷物を入れ、面接に向け、いざ出陣❗
帰りは、上野駅で、3食分の食料を買い溜めした。帰りも、おおとり号に、乗車。
懐かしい〜😊
瀬戸瀬、上白滝、白滝、下白滝駅、懐かしい。
食堂車も、片道2回程、利用しました。
涙が出るくらい、懐かしいです✨
結果、その会社は、落ちたよ❗
動物のあの運輸会社
もう半世紀くらい前の、出来事でした
最後に、ありがとうございました。
そうですか、北海道から東京へ、就職するつもりだったのですね。
私も、このビデオを撮影したのは、今でも忘れられないですが、もうすごい月日が流れているのですね。
涙出て来る映像でした。新日本紀行に負けていません。音楽も良かったです。
ありがとうございます。
ただ、当時の機材だったので、画質の面で至らないですね。
今は、本当にすごい時代になりました。
50年くらい前に『おおとり』ではなく『おおぞら』だったのですが何度か利用しました。
当時の『おおぞら』は13両編成でそれはそれは勇壮でした。
その頃はまだ飛行機より青函連絡船が一般的でしたからね。
鉄道好き少年にとって、大きな窓、天井にクーラーと乗るたびにワクワクしたものでした。
懐かしい映像ありがとうございました。
50年くらい前の「おおぞら」私も鉄道月刊誌で時々写真を見るのですが、食堂車が2輌も連結されていたのではないでしょうか。私が思うに、電車特急の東海道本線の「こだま」は、東京と大阪間、しかし、ディーゼル特急は、非電化の線路を走る事が出来るため、電車特急よりもはるかに長い距離を長い時間走っていたように思います。
それが、知らない町への旅情を感じ、真っ暗になった風景の中を終着駅目指して走り続けるディーゼル特急。それにすごく憧れたものでした。
長い動画ですが味があって何度も見てます!ありがとうございます。
+KOTARO KIDO さん メッセージありがとうございます。
こちらこそ、ありがとうございます。
当時VHSテープでの撮影で画質が悪いですが、こんな時代のこんな列車だったのですね。
個人でこれだけの作品は素晴らしい限り、情熱を感じます。北海道生まれだけに感じ方が人一倍です。感激しました。
ありがとうございます。
この車両が大好きで、何とか現役で走っているドキュメンタリーを残したいと思って撮影しました。
今では、この車両の模型を作っています。
月並みな言葉ですが素晴らしいの一言です。
このビデオが撮影された当時の自分はまだ子供でしたが、おおとり、おおぞらなど北海道を長時間かけて走る特急列車は憧れの存在でいつかは乗りたいと思っていました。冒頭の本州からの連絡船接続も懐かしいですね。青函トンネルが開通する前に、何度も連絡船で函館へ渡りましたが今とは違う活気(長いホームで連絡船からの客を待ち受ける特急列車、駅弁の立ち売りや駅蕎麦etc)がある光景を思い出しました。
メッセージありがとうございます。
この映像を撮影した当時は、これが当たり前の風景だったのですが、今はずいぶんと変わってしまったみたいですね。
函館は電化され、札幌は高架になり、多くのローカル線は姿を消し、特急しか走らさない標準軌の鉄道が函館北斗まで開通し、これから先も、どんどん変わって行くのでしょうね。
本や写真でしか見なかったおおとりの映像が見れるとは!車内と映像と駅ホームから到着時の映像を織り交ぜて撮っていらっしゃるあたり、BSの鉄道番組のような編集で素晴らしいです。大変貴重な映像をありがとうございます。
メッセージありがとうございます。
ホントにね、当時もっと画質の良い撮影機材だと、もっと良い鉄道番組を作れたのにね。
でも、この当時の機材って、画質が悪い割には、大変だったのですよ。
肩乗せの今の放送局のようなカメラとVHSテープが入る大きなデッキを電線でつないでバッテリーは、1kgの重さで約20分しか使えない。
こんな機材での撮影でした。
また、北海道はめったに行けないところなので、計画的にこの列車に的を絞って撮影した結果、このような映像を残すことが出来ました。
まあ、この当時は若かったのでね(笑)
丁寧な映像。貴重な映像。特急おおとりの知りたかった事すべてがある。大変な労作。ありがとうございました。
いいえ、どういたしまして。私はこの80系が大好きで、北海道の当時長距離列車を映像で残そうと撮影したものです。今では、13mmゲージの鉄道模型を作っています。(なかなかはかどらないけど)
私は、JR世代なので、国鉄時代の風景は、もうYoutubeくらいでしか見ることができませんが、なんだか妙に懐かしい気分になってしまいます。特に駅員や、車掌のアナウンスが、それぞれの地方の方言で聞くことができたのも、国鉄ならではですね。いまはどこも標準語になってしまっていて、ちょっと寂しい気もします。また、車両もバラエティに富んでいて、見ていて飽きないですね。いまは同じ顔の車両ばかりなので...。
また車内チャイムも、昔は本物のオルゴールを使っていて、とても旅愁がありますね。
JRの電子オルゴールがなんだかかすんで見えてしまいます。
たった一日だけでも、昔の国鉄の時代が復活しないかななんてふとこの映像を見て思ってしまいました。
長文大変失礼しました。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
メッセージありがとうございます。
JR世代の方・・・・・・と言う事は、お若い方なんですね。
時代の流れは速いもので、なぜかみなさん昔が懐かしいって言われます。
このビデオを撮ってた時に、30年後の未来なんて創造できなかったのです。
でも、このキハ80系は、見ることが出来ないだろうと思い撮影していました。
2013年と2014年に何十年ぶりかで、北海道へ行ってきましたが、なじみの無い特急や通勤型の電車などがいっぱい走っていて、私の頭の中にあった30年前の記憶を大きく塗り替えられてしまいました。
この前、鉄友に聞いたのですが、直江津から長野辺りで、普通や快速に国鉄時代の485系を使っているそうです。私も直江津と二本木で少し撮影した事があるのですが、私の鉄友が、その列車に乗りに行ったそうで、駅を発車すると、普通列車にもかかわらす、なんとオルゴールを鳴らして車内放送をするそうです。まあ、これは車掌にもよりけりかも知れませんが、この列車に乗ったら、少しは国鉄時代にタイムスリップできるかもしれませんよ。また、北陸本線の富山から直江津間は、来年の北陸新幹線の開業まで、あと残された日々を、特急北越が485系で走っています。その中には、国鉄色も走っているので、これもなぜか、タイムスリップしたかに感じます。
車両の技術が現在より当然遅れているにもかかわらず、過酷な環境の中で頑張って運行していて、また車両の見た目や構造、内装が現在とさほど変わらず、乗客も鉄道を主な移動手段としているのを視聴していてなんとも言えない良い感覚になります。
そうですね、現在の技術は、北海道専用の車輛が設計されていますが、この当時はこの車輛北海道おから九州まで走っていたオールマイティーの車輛だったのです。
ただ、北海道仕様では、エンジンの噴射ポンプ部分にカバーが付いていたり、それなりの特別な設備になっていたようです。
おおとり、家族でよく利用していました。車内放送、エンジン音すべてが懐かしく当時を思い出します。私は写真でしか残せませんでしたがこのような動画を見ることができてとても感動しました。
そうですか、私はこの撮影に2回乗っただけです。でもビデオを何とか残しておいて良かったと思っています。
長期間に渡る撮影。有り難うございます。タイムスリップして国鉄時代を堪能させて頂きました。
ナレーションの声に癒されました。
メッセージありがとうございます。
そうですか、画質が悪いのが残念ですが、見ていただいてありがとうございます。
キハ80系の現役世代を知る者です。
西日本では、電化区間で電車に負けじと全力疾走した「かもめ」や「くろしお」を見てきました。
極寒の地、北海道で同じキハ82が厳しい環境に負けじと疾走している姿、函館駅での乗り遅れた
お客様への温かい対応、終点網走駅での到着を待つ駅員、保守に苦労したであろう函館運転所の整備の良さ
安全、定時運行に努めようとする乗務員、線路保守も含め、国鉄職員が一丸となってこの列車「おおとり」を走らせている
とこの映像からうかがえました。
現JRでは、見ることのできない本当に貴重で素晴らしい映像です。
感動致しました。ありがとうございます。
メッセージありがとうございます。
実は、私も特急「かもめ」にも「くろしお」にもなった事があるのです。
複線の山陽本線や阪和線はスピードを出せる線路で、ほんとうに全力疾走するキハ80系82型は、すごいです。
しかし私が、ビデオを手にしたときは、すでにキハ80系82型は、高山本線や、山陰本線と、あまりスピードを出すことができない線路でしか走っていませんでした。
でも、どうしても、あの全力疾走するキハ80系82型を記録したい。
そう思ったのです。全力疾走するキハ80系82型を見るには、この当時は北海道しかない!
そう思い、函館から網走を走るこの列車を記録しに行きました。
こちらこそ、見ていただいてありがとうございます。寒い中、列車が通過した後、全身雪まみれになって撮影したかいがありました。
タイムマシンに乗って、この時代に戻ってみたいと思うシーンばかりでした。
メッセージありがとうございます。
タイムマシーンは、無理でしょうけど、せめてバーチャル空間にでも、昔の時間を見る事が出来たらと思い、私は色々と撮影しています。
アップお疲れ様です。
キハ80のエンジン音が懐かしいです
特急南紀のエンジン音を、高校生時代に毎日、通学していた電車から聞いていました。
思わず若かりし日を思い出しました。ありがとうございます、素敵な動画です
+向畑大樹 さん メッセージありがとうございます。
特急南紀ですか?
動画では、ほんの少ししか記録していませんが、私が初めて特急に乗ったのが、小学校5年の時で、特急くろしおでした。
当時は、名古屋発天王寺行で私は、亀山から乗りました。10輌で食堂車が連結されており、一番亀山寄りのキハ82は、900番代のグリーン車の改造の先頭車でした。
特急南紀は、くろしおを引き継いだ列車ですね。
私が、この北海道のキハ82を撮影しに行ったのも、やぱり、自分自身若かりし日の思い出の車両を何とか残しておきたいと言う一心での撮影した映像なんです。
喜んでいただいて光栄です。
貴重で素晴らしい映像をアップしてくださり感謝しています。今は人々の暮らしが大きく変わってしまいましたが移動ではなく、旅という大切な記憶がこの映像にはあると思います。
メッセージありがとうございます
なるほど、移動ではなく、旅ですね。
これはすごい! 昔、学生の時の乗った「おおとり」がこんな素晴らしい編集で蘇るとは。実に貴重な映像ですね。感動をどうもありがとうございます!
メッセージありがとうございます。
当時のカメラは、撮像管、記録媒体はVHSテープ。
この時代に活躍していた列車なんです。画質が悪いのが、残念ですが、それでも北海道まで行って、寒い中撮影しました。この列車に乗った方が、多いようで、そんな思いでを思い出すお手伝いが出来たなら、うれしいです。
ちなみに、余談ですが、この43分番組をRUclipsにアップするのに、私の家は、まだADSLだったので、11時間かかりました。この時間って、おおとりの函館から網走までの時間に何か似ているようで笑ってしまいました。
貴重な映像をありがとう。
どういたしまして。画質が悪くてすみません。
18才で会社員にな出張先の佐呂間に行くのに札幌から網走まで乗りました。途中の停車駅にお袋の生まれた町があり窓にへばり
ついて見ていました。
食堂車もありカレーを食べたのを覚えています。
しかし縁というのは不思議なもので勤めた会社は倒産し職を探した結果旧国鉄工場に採用になり自分が特急用エンジンや
DD51のZAやZBを組むとは思ってもいませんでした。
エンジンは非力ですがサスペンションが良くて実に乗り心地に徹した80系でした。
貴重な映像ありがとうございました。
人生って色々ですね。エンジンの技術者なのですね。
なるほど、乗り心地に徹した80系なのですね。
80系当時の時代では、これが一番の設計だったのでしょうね。新しエンジンを開発するのには時間がかかるし、実績のあるエンジンを使って歯車比でカバーすると言う発想だったらしいですね。
@@HobbyVideos さん ただの工場のエンジン組み立て屋です。それでも組み立ての精度は百分の一ミリの精度を必要とします。
すごいですね。百分の1ミリの制度ですか?
何回も見てしまいます。
本当に素晴らしい映像!
ありがとうございます。
当時の機材なので、画質が悪いのか難点ですがね。
また観てしまいました😂
大阪在住の私。
年に2度は北海道を訪ね、北海道の鉄道を満喫して参りましたが、この年になり、身体が動かなくなり、生き甲斐だった北海道の旅はもう叶わなくなりました。今は、過去のアルバムは自分で撮影した動画。プラス、あなた様のこの動画を観て、劃られた余生を過ごしています。いつ拝見しても、ホントにいい動画です。NHKの紀行番組に負けないくらい。
構成もカメラワークも最高。
語りもNHKのアナウンサ−に負けない。
ホントにいい動画を有難うございます。
北海道。
ホントにいい。
そこまで言われるとてれますね。
まあ、この車両が大好きで、この時は、必死になって撮影し、必死になって編集しました。
今は、もう走っていないけど、私は鉄道模型を作って楽しんでいます。
車窓には、北海道の風景をパネルにして。
キハ80系82。
何とも哀愁を感じさせる「顔」がいいですね。
顔ばかりではなくて、「声」。あのディーゼルエンジンの音、そう、声がまたいいです。
北の大地を駆けるにふさわしい特別急行車両ですね。
私はヨンマルも好きです。
車内の匂い。気動車特有のあの匂いも好きです。
ハチマルが姿を消し、ヨンマルも姿を消しつつあります。寂しいですね。
今のH100は、北海道には似合わないですよ!
新幹線が札幌まで延伸されますが、北海道の景色には似合わないですよ。
路線の廃止。駅の廃止。
JR北海道はホントに淋しくなりつつあります。
大阪在住の大のJR北海道ファンである私の人生も寂しくなりました。年に2度は訪ねた北海道ですが、もう年のせい。身体も寂しくなり、北海道へはもう……。
根釧平野を駆ける根室本線。
湿原と流氷の釧網本線。
遠く利尻を眺める宗谷本線。
それらを駆けるキハ40に54。
幾度乗ったことやら。
なるほど、私は、北海道へはもっぱらマイカーで行って撮影するのみでした。
ただ、このおおとりは、乗車してのビデオも撮影したかったので、乗りました。
今度、また北海道に行ったら、列車に乗ってみようかと思います。
国鉄特急憧れるなー
乗りたい
今の車内設備から見ると、劣りますよ。リクライニングは無い。
接続列車の案内アナウンスで、ほぼ廃線になっているのが時代を感じますね。
素晴らしい動画です。
メッセージありがとうございます。
そうなんです、ほぼ廃線になっている。
当時は、なにも思わなかったのですが、今思えば昔線路があった証の車内放送ですね。
素晴らしい動画ですね!😊
永久に保存されるべき歴史的な文化遺産ですよ!おおげさではなく
ありがとうございます。
ただ、画質が悪くてね。
今のデジタル技術で、もっと良い画質に出来たら良いんだけどね。
いつも、国鉄の懐かしい雰囲気ありがとうございます。自分も幼少の時、土崎、八王子と鉄道の街で育ちましたので、鉄道の風景を見ると懐かしく感じます。今後も動画UP楽しみにしております
+松本慎也 さん メッセージありがとうございます。
鉄道の風景も、昔と違ってどんどん変わって来ていますね。
でも、変わっていないところは全然変わって無かったりして。
列車ばかりを撮影していましたが、駅なんかも、ずいぶん変わってしまったように思います。また、少しずつアップしますので、よろしくお願いします。
特急おおとり、懐かしく拝見しました。
中学時代登別市内から室蘭の病院に毎日通院してたとき、東室蘭で乗り継ぎ待ちで、網走行の特急おおとり8両編成、函館行の特急おおぞら13両編成が同じ時間帯に到着して見られるのが楽しみでした。
駅を発車するとき、食堂車のスタッフ全員がホームに向かってお辞儀をしながら列車が走り去って行くのが印象に残ってます。
懐かしい映像ありがとうございました^^
メッセージありがとうございます。
登別、室蘭・・・・良い所に住んでいますね。
私は、今年の2月に少し長和、礼文付近でトワイライトエクスプレス、北斗などを撮影しました。
おおとりとおおぞらが同じ時間帯に来るなんて、すごい私にしてみれば夢みたいな光景です。食堂車のスタッフがお辞儀をするのは、始発駅だけかとおもっていたら、途中駅でもするのですね。でも、みんな誇りを持って常務していたのでしょうね。
何しろ、特別急行列車だもんね。
もう30年近く前、東北線、青函連絡船、そしてこの特急おおとりと乗り継いで、札幌まで受験に行きました。「国鉄時代の鉄道ファン」さんの動画にもありましたが、私が乗ったときも、函館駅で乗り遅れた乗客のために、発車した列車が止まったことを覚えています。その時私も「国鉄時代の鉄道ファン」さんが動画内でおっしゃられていたのと同じことを思いました。それからずっと私は北海道に住んでいます。北海道鉄路は、路線も列車のバラエティーも30年前と比べてずいぶんとスリムになってしまいました。懐かしい動画をありがとうございます。鉄道の旅が本当に楽しかった頃の記憶がよみがえりました。
平和 さん メッセージありがとうございます。
札幌まで受験に行ったと言う事は、青春時代の真っただ中に北海道で生活し、それからずっと北海道に住んでおられるのですね。
私も、今思えば、高校までは奈良に住んでいて、大学が石川県の大学に行きました。そして、一旦は大阪の会社に就職したものの、その会社を辞め、結局 今は、石川県に住んでいます。
人生ってわからないもので青春時代に過ごした地と言うのが、どうも一生を決める地になるって事が、良くあるみたいですね。
私は、2013年と2014年にも北海道に行きました。
でも、当時の車両は、キハ183系が、塗装を変えて走っているくらいで、後は、前だけが青い色したステンレスの車両が幅をきかしていましたね。
そして、線路もほんとに少なくなり、スリムになってしまったようです。
こんな事になるとは、思ってもいなかったので、おおとり 以外の他の線も撮影して、乗っておくと良かったのにと思います。
このビデオでの車内放送の乗り換え案内が、私の残せた廃止路線の記録になってしまいました。
国鉄時代の鉄道ファン 廃止路線の記録、なんだかやっぱり寂しいですね。でも月並みな言い方ですが、廃止路線の「記憶」が私の中に生きています。昭和62年の3月29日、最後の羽幌線に乗車しました。そして、3月31日の夜、国鉄とJRをまたぐ列車として稚内駅から急行利尻に乗車しました。もうすっかりJRという言葉に慣れましたが、国有鉄道と比べて、JRというライトな言い方に当時は戸惑いがありました。 月日は流れて、ひょんな事から職場の上司の思い出話を聞く機会がありました。「国鉄最後の利尻に乗車して転勤をした」というのです。同じ職場のもの同士が、実は数十年前に列車内で時を同じくしていたなんて。これも列車の旅のいいところなのかもしれません。ひょっとしたら、国鉄時代の鉄道ファンさんと私も、どこかの列車に同乗していたかもしれませんね。
函館出身です。ありがとうございます。
キハ82道内特急は乗らない愚行を犯してしまい、慌てて南紀号で僅かな区間を舐める様に乗ったのを思い出します。
この時は3番線発車だったのですね。前後して、おおぞら、宗谷が出発していた時期でしょうか?
発車直後の急停車のシーン。
このシーンを見て思い出しました。
1987年の春、札幌行最終北斗に乗るべく、出発時間ギリギリの函館駅で私の事件が。
10分もあれば間に合う、と、だらだらと駅前のデパートの本屋で過ごしていたところ、すっかり時間を失念していたのです。
見れば3分前、猛然とダッシュして改札へ向かう私。
他に人影はなく、ぽつんと1人立つ駅員氏の改札で切符を提示。驚く改札掛氏。
「北斗?!もう発車しますよ?!」「はい!」
ダメで元々、当時の身の軽さで階段を駆け上がると、後ろで掛の方の声が聞こえた様でした。
恐らく、ホームに通じるマイク案内で「今1人行った!ちょっと待って!」そんな感じだったと思います。
実際には1分過ぎていたか?なかったか?
列車はアイドリング高らかなエンジンが鳴り響くものの、何事も無かったかのように待っていました。
もしかしたら、発車ベルは鳴り終わったか?!
目の前でドアが閉まっては無念極まりないと、とにかく最寄りのドアから飛び乗り、程なくドアが閉まると、轟音と共に発車。
あの時の安堵は忘れられません。
車内は乗客も少なく、程なくして車掌さんが来て切符を検札に来ました。
「すいませんでした。」
待っててくれたかどうかは確信ありませんでしたが、頭を下げずにはいられませんでした。
少し微笑んでいた様な車掌さん。中学3年の卒業旅行でした。
今も函館に帰ると思い出します。
あの距離の雪道を、ホームまで3分半で走り抜けた私の若さ。何より、恐らく寸分待っていてくれた車掌さん、それを指示してくれたであろう駅員さん。
色々不祥事はあっても、JR北海道は応援したいですし、函館駅は今でも私の心の駅、です。^^
そうだったのですか。
似たような事、やったのですね。今はどうなのかな?
石川県でも、ホームに居たら時々、駅の放送で
「〇〇列車車掌 今、一人行きますのでお願いします」
とアナウンスが時々あります。
田舎だからなのでしょうね。
東京ではありえないかも。
昔、ちょうど1982年から1987年まで北海道にいました。江別4年、瀬棚町1年生活したので、あの頃の列車旅懐かしく、思い出しました。食堂車の最晩年の時ですね。映像、音響も素晴らしく。公開ありがとうございます。
食堂車を連結し、往年の特別急行にふさわしい列車名と列車だったようですね。車内も普通車はロマンスシートで回転クロスシートの座席。実物は鉄道博物館のひばりの車内でしか見たことがありません。走行音も今の車両では聞くことのできないエンジン音が響いています。
それにしても、UP主様、撮影のアングル、カメラワーク、編集、上手ですね。てっきり鉄道ジャーナル社あたりで出しているシリーズの一本じゃないかと思いました。
貴重な映像、見せていただきましてありがとうございます。
メッセージありがとうございます。
鉄道博物館って大宮の博物館でしょうか?
私は、まだ行った事が無いので時間を作って行きたいと思います。
名古屋のリニア博物館には、キハ82があるそうです。
私も、一度は行かないと、話についていけないですね(笑)
撮影は、この当時はまだ動画撮影に関しては素人の時でした。
学生時代は写真をやっていたので、その成果が少し反映されているのかもしれません。
でも、写真とビデオは共通点はあるものの当時のビデオは、オートなんて無かったので、絞りなどは、微妙に調整しながら撮影しないと駄目でした。除いているファインダーは白黒のファインダー、それに画像の波形を出して、その波形を見ながら絞りを調整しながらの撮影でした。
それに比べれば、今の時代はスマホでフルハイビジョンが撮影できるなんて、すごい時代になりましたね。このすごい時代と引き換えに、時代にそぐわなくなった車輌達が廃車となって消えて行ったのですね。
この動画、もう何回、いや何十回見たでしょうか…。
いつ見ても飽きません。
古き良き時代の北海道の鉄道風景。駅の到着放送。車掌さんの車内放送。
全てが肉声で、それぞれに個性があって、それらが旅情を更に盛り上げているよです。
現在にはない「姿」です。
この動画のもうひとつの魅力は、撮影者様の温かみのある、優しい口調のナレーションです。
まるでNHKの紀行番組を見ているような……。
雪の大地を駆ける北の鉄道風景に哀愁をもたらすBGMも最高にいいです。北海道の鉄道を愛する私に、この動画は心のよりどころ。
今はすっかり自動放送で味気ないJR北海道。
旅情を演出させるような肉声の駅の放送。肉声の車内放送を「喋れるプロ」はもう居ないでしょうね。
そう言ってくれると嬉しくなります。
でも、色んな人が居まして、
・ナレーションが要らない。複線だの単線だの見ればわかる
とか
・全く音楽がマッチしていない
とか言う人も居るのです。
NHKの紀行番組と言うまではまだまだですが、このビデオはやがてなくなるであろう大好きな80系の活躍を残したくて、それをいつまでも見る事が出来たらと思い、全くの趣味で撮影しただけなのです。
それが、インターネットのお陰で鉄道好きな人にも見てもらう事が出来るようになり、こうやって編集して見ました。
撮影した当時としては、車掌さんのアナウンス、駅の駅員の放送、すべて肉声(旭川以外)でしたが、それが当たり前で何も思わなかった時代でした。
最近は、自動音声での放送になっているようですが、まだ肉声での放送もあるのではないでしょうか?
ワンマンバスは遠の昔から録音放送でしたが、それでも今日、運転士がマイクを帽子に付けていて肉声での放送を録音に付け足して喋っていると思います。
やはり、肉声の放送は、臨機応変が利くのが良い所ですね。
@@HobbyVideos
わざわざご返信ありがとうございます。
私の素直な気持ちを申したまでです。
北の鉄道を愛する者しかわからない?でしょうね。
前にも言った?と思いますが、私は大阪在住。
年に2度は北海道を訪ねます。
北海道には札幌や小樽。函館とか、色々と観光地はありますが、私は観光地ではない?北海道が好きで、中標津の開陽台やミルクロ―ドの雄大な景色に魅せられ、何度訪ねても飽きません。音威子府や歌登も大好きです。それと、やはり北の鉄道ですね。なかでもキハ40の大ファン。特に冬の宗谷本線を走るキハ40の姿はたまりません。
その40も近い内になくなるのでしょうね。
宗谷本線を走るキハ40ですか!
私はキハ54しか見たことが無いのです。そうそう1度だけ、変な色の快速が走っていました。
いや、朝にキハ40を撮影したかな?キハ54の方が印象が強くて、キハ40は、あまり思い出が無いのです。
キハ54は、今年乗りましたが、窓と座席配置があって無くて、景色が見れないので、もう二度と乗りたくありません。キハ40の方が、いいですね。
@@HobbyVideos 宗谷本線でのキハ40は、主に名寄~旭川間の運用が多いようです。
そのキハ40ですが、来年春のダイヤ改正後はなくなるそうですね😢
変わって、電気式ディ―ゼルのH100形が投入されるとか…。
遂に40が見れなくなる寂しさは、私的には耐えられないです。
本当に色々と懐かしい。1980年代は、網走市・北見市に住んでいましたが、「札幌に行く」となれば列車を選ぶのが普通だった時代ですね。
旭川駅が「あさひがわ」と呼称していた時代でしたね。青函連絡船にも数回お世話になりました。
今では、高速道路の整備が進んで、都市間バスや自力で運転して移動する機会のほうが多くなってしまいました。
おおとりには北見から函館まで、高校の修学旅行時に往復で乗り通し、その後、函館から網走までの片道だけですが、訳ありで一度だけ全区間乗り通したことがあります。
青函トンネルが開通・供用開始した後も暫く函館~網走間の「おおとり」は残っていましたね。
また、国鉄時代はちょっとした優等列車が停車する駅は、必ず切符販売の窓口がある有人駅でしたね。
今では石北線の特急列車もキハ183系の運用を経て(廃車のはずだった)キハ283系が入ってくる時代で、ふた昔前の記録になってしまいそうです。
この当時、北海道は、小さな信号所でも、人が居ました。
この撮影で、
「ここなら誰もいいないだろう」
と、信号所に行くと、駅員が出て来て見に来るのでした。
信号所なので、暇なのか、
「次の特急は、ここを何分に通過するよ」
とか、教えてくれて、
「その後、列車来ないから中に入ってコーヒーでも飲んで行けよ!」
って親切ししてもらった事があります。だから、この時代はおっしゃるように、切符販売窓口のある駅はほとんど有人駅だったのでしょうね。そして、吹雪の日でも、特急が通過する時は、駅員がホームに立って直立不動で、○○列車定時通過と確認していたように思います。
なんだろう この懐かしい暖かい時代感 もう戻れない昭和
こんな時代もあったと言う事ですね。
新幹線が出来たら、また今の時代が懐かしくなりますね。
とても貴重な映像ありがとうございます。
完成度が凄すぎます!
子供の頃国鉄型特急の図鑑をよく見ましたが、キハ80、82は大人になってから後で思えば乗りたかった車両です。
この車両には、乗られてないのですね。
普通車の座席はリクライニングではないので、今の特急から比べるとやはり車の設備は、劣りますよ。
この特急は国鉄で2番目に作られた車輛で、当時の急行は、クーラー無しの直角の椅子の時代でしたから、
食堂車が連結され、全車指定席で運転を開始した特急としては、この当時の最高のサービスだったのかも知れませんね。
@@HobbyVideos 関東在住ということもあり、縁がありませんでした。どちらかというと485や183などの電車特急に憧れておりました。(実際乗る機会が多かったのは185です)
今の特急は本当に快適ですよね。
大阪~青森まで走った白鳥は乗り通すと大変だっただろうと思います。
昔は、この車両が白鳥で走っていたのです。
でも、昔の人は、これが当たり前の時代で、そんなに大変という事は感じていなかったのではないでしょうか。
今の、時代の人がこの車両に乗ると大変かもしれませんけどね。
白鳥も、電車になってリクライニングシートになってと、次第に車内も良くなりました。
夢のような動画でした。長距離列車が全国を駆け巡る時代、私も旅をしたかったです。
時折流れるBGMも美しく心が洗われるようでした。
今度網走行ってみようかな、
ありがとうございます。
まあ、この当時の機材は重たくて画質が悪くて、今のスマホで4K動画が撮影出来る時代では考えられない時代に、このような列車が走っていたのです。
いつもこの動画を拝見しています。国鉄時代の車両の中では絶品ですね!私も北海道に住んでいた頃幾度もお世話になった車両です。
キハ80系の動画は永久保存版ですね!ありがとうございます。
こちらこそ、ご視聴ありがとうございます。
私は、この80系が大好きで、とにかく残しておきたいと思って撮影しました。
特急おおとりは高校の修学旅行で乗った記憶があります。
そのときすでに183になってました。
次の年には青函トンネル開通だったので、おおとりに乗る最初で最後のチャンスでした。
函館までが長かったな。
そうですか、もう食堂車も無く長距離を走る時代になっていたのですね。
食堂車も、時代にそぐわなくなったのかな。
すばらしい!!最高です。
このコロナ禍の陽気の中で小さな旅をさせてもらった気分になりました。当時はバブルの初期の頃で駅も車内🚆も活気に満ちてましたね☻
一生に一度は、こんな汽車の旅をわたしもしてみたいなぁ~
今だったらこんな汽車の旅、どこで出来るかな?
やっぱり北海道かもね。
カメラワーク、編集、選曲、ナレーションどれもとっても良くて、あっという間の43分間でした。素晴らしい作品をありがとうございました。
どういたしまして。
そう言ってくれると嬉しいです。
ありがとうございます。
いやぁ~、古き良き時代の風景ですねえ。
国鉄時代です。でも今から思えばどうなのかな?赤字覚悟での運営。親方日の丸が、今では民鉄になり、合理化され、現状になっている。
昔は風情がある。当時の北海道の特急って函館から走ってくるので、すごく長距離。今と違って、1から2時間位ノンストップで走るんですよ。学生時代乗ったことがあるけど、夜の走行は真っ暗の中、ずっと走っているわけ。椅子がベンチシートになっていてリクライニングできないですよね。食堂車も連結されていて、良かったな。まさにポッポやの高倉健の世界ですな。
そうなんです。今は急行が無くなって急行のように停車して、運賃は特急料金を払って。
リクライニングが出来ないけど、特急以外の急行は、直角の椅子。
やはり、この時代でも、特急は特急のサービスがあったのですね。
ポッポやの世界です。
懐かしいです。35年以上前かな?学生の時に生まれて初めて北海道に旅行しました。
高速バスで東京入りし、その日の夜に急行八甲田に乗って青函連絡船で北海道に渡りこの電車に乗りました。
隣になったサラリーマンの方に社内販売でジュースを買ってもらったり、OLの方と友達になったりと長い乗車時間が温かい時代でした。VHSで撮られてとのこと、この時代では、バッテリーが心配ですね。。。。しかも気温が低いのでさらに心配です。VHSにしては画像が良いので驚いています。
+おあしす さん メッセージありがとうございます。
色んな人がそれぞれこの列車での思い出のメッセージをいただき、懐かしいと言ってくれます。撮影機材は、カメラとデッキが別々になっていて、線で繋いで撮影する機材でした。1本のバッテリーの重さが1(kg)約20分しか持たないのです。
ちなみにカメラは撮像管でした。
まあ、当時は自己満足で撮影した映像で、家でも撮影直後は良く見ましたが、だんだん見なくなってしまいました。
現在はインターネットで動画を配信でき良い時代になりましたね。
昔の古き良き時代と引き換えに。
思い出が蘇って懐かしく見させてもらいました。
鉄道が大好きな子供時代、地元の近くに止まる特急では1番遠くまで行けるのが「おおとり」でしたので大好きな特急でした。
小学生の頃母親にせがんで、初めて旭川までグリーン車に乗せてもらったのもおおとりでした!
札幌駅で椅子の回転の仕方を周りの人達に教えてあげたのを覚えています!
長万部のホームで、コロコロとエンジン音を響かせながら入線してくる様子、いつも子供ながらにワクワクしていました!
キハ82のエンジン音を聴くと懐かしくて泣きそうになりました。
貴重な映像本当にありがとうございました!
どういたしまして。
私もこの車両が大好きで、いまだに模型を手造りしています。
ただ、忙しく、なかなか完成しめせんが(笑)
昼行特急最後の食堂車連結でしたね。小さい時にはまだ駅弁売りの方を見た記憶があります。
小さい頃思い出しました、ありがとうございます
メッセージありがとうございます。
これが、昼行特急最後の食堂車だったかどうかは、分かりませんが、この後、この「おおとり」は、183系になったみたいですね。
もう、その時代は、私は撮影していないので知らないのですが、まさか、最後の食堂車連J結の列車を撮影していたとは、知りませんでした。
いやあ、なつかしさと感動のあまり涙があふれてきました。
1986年にちょうど大学に入学する直前の春休みを使って、横浜から北見の親戚の家まで「はくつる⇒連絡船⇒おおとり」で丸一日かけて一人旅したことを思い出しました。
初めての北海道への旅。
北海道って遠いんだなあと身をもって感じたものです。
雄大な景色を眺めながら食堂車で食べるランチは街でのどんな食事よりも素敵だと思いましたね。
新幹線や飛行機では決して味わえない、あの旅の醍醐味は国鉄ならではだと思います。
速さと効率ばかりを追い求める最近のJRは民間企業ですから仕方がないのかもしれませんが、国鉄時代の列車の旅ならではの風情がなくなってしまったのは残念で仕方ありません。
国鉄の分割民営化直前の時はちょうど受験生で、本当は北海道の廃止予定のローカル線に乗る旅に出かけたかったのにガマンしていたのを思い出します。
もう少し早く生まれて、国鉄黄金時代を満喫したかったなと思う今日この頃。
最近は夜行寝台列車も次々と廃止され、鉄道の旅の良さを味わえるチャンスはますますなくなるなど寂しいですね。
メッセージありがとうございます。
北海道に親戚があるなんてうらやましいです。
私は、北海道はもっぱら旅行でしか行けないので。
雄大な景色を眺めながら食べるランチか!
もう食堂車はなくなってしまい、今では、雄大な景色を眺めながら食べる弁当って所でしょうか。
確かに、今は昔よりスピードアップされていますが、なぜかビジネス特急って言う感じが強いですね。
旅をたのしむのは、今の時代は普通に乗るのが良いかもしれません。
夜行列車
北斗星、トワイライトエクスプレス・・・・秒読み態勢に入りましたね。
これら、JR時代の寝台特急なのに、それが廃止になる時代なんだから、時の流れの早さにびっくりです。
最近のJR各社はやれ整備新幹線だ、リニアだと見ていて腹が立つ(#`皿´)!!
在来線をもっと大事にできんのか(#`皿´)!!
当方、その翌年にあたる86年に北海道周遊の旅の締めくくりで、網走から函館迄「おおとり」で移動しました。
食堂車「キシ80」で昼食と夕食を済ませたのが、一番の思い出です。
やはり、この列車には、利用しているのですね。
それも、締めくくりとして全区間乗車なんって、やはり好きでなければ乗れないでしょうね。
季節はいつだったのでしょう。
私は、冬に食堂車に行ったら、すごく良く揺れました。バネに雪が詰まって揺れるらしいです。
感動しました。84年の冬に北海道ワイドで上野からこのルートで網走に行ったのが蘇りました。ありがとうございました。
あ~みんなワイド周遊券で北海道へ行ってたんですね。
私ももっともっと北海道へ行けばよかったよ!
もともと好きな車両でしたが、この画像を目にして、キハ82の美しさに改めて魅せられ、Nゲージのセット(中古ですが)を買ってしまいました。
北海道の広さ、鉄道旅行の楽しさを堪能できる素晴らしい作品をありがとうございました。
私も、この車両が大好きなのです。今、13mmゲージで、模型を作っている所です。
当時はまだ、青函連絡線で東京から帰省した人で函館駅は大変混雑していたんですね!
そういえば、そうですね。
それって、演歌の世界かも。
この時代の北海道を走っていた優等列車は内地(本州)を走っていたお古で淘汰されるまで過酷な環境下で活躍していたことに心が痛みます。82系の勇姿はこれからも私の記憶から消える事はないでしょう。国鉄時代の鉄道ファンさんアップありがとうございます。
メッセージありがとうございます。
本州で走っていたお古ですか?
でも、北海道の車輛は、それなりに寒冷地の対策を施されている車両なので、本州の車輛を持って来たとは知りませんでした。
こんにちは、とても貴重なビデオを公開していただいてありがとうございます。
私が生まれる8年も前の映像なのですね。もう、何度も見ています。
このビデオを見ていなかったら80系気動車の格好良さ、美しさ、そして北の大地の過酷さを知ることはなかったと思います。すっかりこの気動車が好きになってしまいました。
いつかは小樽に保存されたこの気動車を見て、この気動車の駆け抜けた鉄路を旅してみたいと思います。
メッセージありがとうございます。
キハ82の活躍は見た事がないのですね。
この映像を撮影していた時点でも、もうこの車両は古めかしい存在でした。
でも、この当時新車だったキハ183系には、食堂車がなく、古いキハ82の列車にだけ食堂車が連結されていて、やはり特別急行と言う列車でした。
この時、撮影しておかないと、と思い、必死になって北海道へ撮影に行ったのです。
実物の活躍を知らない方が、このビデオで気に入ってくれて嬉しいです。
今では私は、80分の1のこの車両の模型を作ったりしています。
古き良き時代の良いものを見させていただきました。
ありがとうございました(^。^)
メッセージありがとうございます。
どういたしまして。
683系の北越急行のはくたかのアイコンですね。
廃止秒読み態勢に入っているはくたかを撮影に行かれているのでしょうか。
国鉄時代の鉄道ファン さん
私は大阪在住なのですが、年に1度ははくたか撮影のために新潟を訪れています。しかも日帰りです(^_^;)
今年も11月に行く予定にしていますが、最後になるかもしれませんので、しっかりと目に焼き付けてきたいと思っております(^。^)
atsutaka2012 さん メッセージありがとうございます。
11月ですか。私は去年11月だったと思うのですが、行きました。
11月の季節は、とっても風が強くて、ダイヤがすごく乱れていました。
良い映像をゲットしてくださいね。
国鉄時代の鉄道ファン さん
ありがとございます。11月でも結構な雪が降ったこともあり、いつもハプニング満載です(^_^;)
国鉄時代の鉄道ファンさんの益々のご活躍を期待しております(^。^)
atsutaka2012 さん メッセージありがとうございます。
最近は温暖化でなかなか雪も降らないし・・・・・東京を除いて。
今年の東京は、良く降りましたね。
11月頃から、ハプニング満載になるのかな?
私は、次の土曜日は、北陸お出かけパスを利用して、はくたかと北越の撮影に行きたいと思っています。
いつも、マイカーで撮影に行くのですが、今回は、鉄道に乗って、駅での撮影をしたいと思っています。
これは力作を超越した作品!!
1985年当時、私は高校生でこの車両によく似たのが四国でも南風で運用されてました。
高徳線沿線住民でしたので、珍しくこの車両を高松駅で見るのが好きでした。
映像も、昭和の風情たっぷりで懐かしく思えました。
一人の乗客で列車を停止させるなんて今ではあり得ないこと。
良い時代だったですよね。
とてもいい映像を拝見させていただきました。
撮影、編集、アップと本当にお疲れ様です。
ありがとうございました。
四国のよく似た車輛は、この車両の1つ新しい車輛ですね。
私も、四国の特急を撮影したかったのですが、とうとう出来ないまま、終わってしまいました。
乗客が遅れてきた時、私はとっても複雑な気持ちで撮影していました。
と言うのは、発車の時に排気塔から白い排気ガスが出るのを撮影しようと思っていたのです。
列車は、ゆっくりとアイドリングで動き始めました。
そこへ、乗客が遅れて、階段を降りて来た。
私は、もう乗り遅れたな!
って思いつつ、早く、ノッチ上げて白煙が出ないか・・・・と思っていたところで、
駅員が
「お~い ストップ~」
と止めたのです。
私は、何?
止めるの?
うそ?
白煙が撮影出来ないじゃん!
と思いつつ、でも、止めて乗せてあげるポッポやの熱き心に感激してしまいました。
@@HobbyVideos
確か四国のはキハ180番台でしたかね?
遅延ならともかく、動き出した列車を止めてまでですから。
お~い!ストップ~!って構内マイクで大きな声で(笑)ある意味これも貴重な映像、名場面ではないでしょうか。
長距離列車ゆえになお更、止めてあげる価値もあったのでしょう。
38:48 終点前のアナウンスは涙が出そうになります。この列車ではるばる網走まで帰郷していた人もいたのでしょうね。
ある程度個人の裁量で物事がコントロールできた時代。
今は、デジタル管理と責任のがんじがらめですから列車自体を止めるのは難しい。
また列車が停止して走って別れを惜しむ人、通信が発達した今、このような別れを
している人も少なくなりました。
一部、四国では電化されていますが、まだまだ気動車主体です。
ディーゼル排気音を聞くことができますが、この車両のような強烈なエンジン音はしません。
しかし当時の撮影機材は非常に高価でなかったかと記憶しています。
撮影した時期も北海道の厳しさがもろ伝わってきます。製作費?もかなりおかかりになったのでは?
そうですね、今はスマホで4K動画が撮影できる良い時代です。
この当時は、カメラとデッキと充電器で総額40万円くらいしました。
誰かれ買えない時代にいち早く購入し、撮影をされたのですね。
この時代の画質だから逆にいいのかもしれません。
チャンネル登録いたしました。
これからも楽しみにしています。
函館駅発射時と、網走駅到着時の様相があまりに違い過ぎて、如何に過酷な道程を「おおとり」が走破してきたかがひしひしと感じられました。
途中、「美幌駅」で氷結したドアを駅員さんが力づくで閉めているシーンなどは、まさに涙ものです。
メッセージありがとうございます。
ごめんなさい、あのドアーを閉めているのは、北見なのです。
実は、あの北見で後ろ3両切り離すのですが、この時の切り離し作業もちょっと苦戦していたらしいです。
私は、前の方の車両だったので、撮影に行けませんでしたが、なかなか発車できませんでした。
国鉄時代の鉄道ファン すみません。北見駅でしたか😅
感動しました。もう30年以上も前なのですね。連絡船もあった夏、これで札幌に向かいました。丁度夏の過客期で、8号車の指定券で乗車したら先客があり、車掌を呼んだら”8増”号車でした。いまでは”特別急行”も、快速と差が無くなりましたね。。。
+Kara Futo さん メッセージありがとうございます。
増8号車が連結されていたと言う事は、10輌だったのですね。
夏の北海道は、行った事がないので知らないのですが、夏の北海道は暑いらしいですね。特別急行と快速との差。乗車券だけでは乗れないところが違うかも。
今 改めて見るとキハ82は美しいスタイルをしてますね おおとり 博多まつかぜに運用されていた憧れを思い出すことが出来る貴重な映像です
博多まつかぜ・・・・本当は、この列車のドキュメンタリーを作成したかったのです。
でも、なかなか進みませんでした。
北海道だから、撮影出来たのかもしれません。
な、懐かしいです。。小学生の時食堂車に何度もお世話になりましたね。素晴らしい列車でした。懐かしい映像をありがとうございました。
どういたしまして!
私も小学校の頃の思い出は、忘れられませんね。初めて乗った特急がこのキハ82でした。
先日のキハ183系に続き、貴重な映像を拝見する事が出来、感謝致します。
この頃は青函連絡船を軸として本州と北海道を結ぶ鉄路が主役で、飛行機はまだ一般的な交通機関ではなかったのでしょうか?
30年以上も前の映像ですが、今なお色褪せる事の無い温かみを感じるのは、乗客・運転手・車掌・おおとりの到着を敬礼で迎える駅員等、全てに人情味が溢れているからではないかと感じます。
現在は無人化・機械化が進み、移動時間も短縮され、車輌も快適にはなっていますが、それと引き換えに失いつつある物がある事も事実として受け止めています。
時代の流れには逆らえませんが、いつかまたおおとりのような長距離列車が復活する事を期待しています。
メッセージありがとうございます。
まあ、飛行機は、飛行機でそれなりに、一般的かどうかは分かりませんが、鉄道と平行して交通機関としてあったと思います。
まあ、こんどおおとりのような長距離列車が出来るとしたら、新幹線になるかも知れませんね。
網走発東京行きとか。
ヤバイっ!
おおとりって特急の事全く知らなかったし、なんならこの動画で初めて知ったくらいやのに、心鷲掴みにされました!!
もう昔の列車ですから、今の人は知らなくて当然です。
それはそうと、今はデジカメやスマホでしたが、昔は写真もフィルムだったのです。
これも、もう知らない人が居るのではないかと思います。
札幌から苗穂間の地平線時代貴重な映像ありがとうございます。その先白石付近まで映像が流れてますが逆側の窓からだと
確か1988年位まで旧千歳線の東札幌駅につながる線路が白石から貨物線として残ってましたそんな懐かしい事を思いだすとても貴重な映像でした。
メッセージありがとうございます。
逆側の窓にそんな風景があるなんて、当時、北海道音痴な私には、全然知りませんでした。
とにかく、この列車を追っかけるのに必死で。